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2016.01.27 公開 2016.05.09 更新
株式会社ダン計画研究所
まちの歴史を今につなぐまちづくり

※ハローライフでの募集は終了してますが、採用状況は各社に問合せください

DANの業務は大きくわけて
まちづくり分野と産業・知財分野の2本にわけられる。
まちづくり分野に関して
DANの生みの親である会長の吉野国夫さんにお聞きした。

歴史的な町並みを大事にしたまちづくり。

1973年の創業当時は「万博が終わった大阪は火が消えたような町だった」と
切り出した吉野さん。オイルショックもあって日本は不況に突入し、
就職先もなくなったからだ。

「フラフラとした若い連中による現代美術家や建築家の集まりの中にいました。
そこに集まる10人ぐらいでチームを組んで何かやろうという話になって、
若手の僕が事務所を借りてアート&クリエイティブ集団をはじめたんです。

当時ビデオアートという表現方法が流行っていました。
ビデオデッキが一台100万円ぐらいする時代です。
その頃東芝が日本ではじめて普及型のビデオをつくって、
そこで僕が「アートをやりたい」と言ったら
「協賛するので無償で貸します」と言ってくれて
ビデオアート展をプロデュースしました」。

しかしアートでは食べていけず、
まじめに商売をしようと1年後に株式会社にして
飲食店の総合プロデュースなどを手掛けた。
クライアントの家族を連れておいしいスパイス料理を求めてシルクロードを旅する。
そんな破天荒な話の裏には、今のDANにも通じるスタイルがあった。

それは業界を深く研究し、
まちの市場調査をしてオモシロいと感じる企画を仕掛け、
にぎわいをつくるスタイルだ。

(1976年、1ヶ月以上イスタンブールからカラチまで飛行機とバスで踏査した。イランのシラーズで入った本格的チャイの店。)

(1976年、1ヶ月以上イスタンブールからカラチまで飛行機とバスで踏査した。イランのシラーズで入った水タバコのパイプ屋。)



とにかく面白いことしかやらない。そんな思いが吉野さんの根底にある。
その後、大阪府の仕事が舞い込んできて、仲間と精一杯やったところいい成果が出た。
以来、行政の仕事が増えてゆき、
都市計画やまちづくりの仕事に関わり始めることとなる。

1970年代後半から1980年代にかけて
関西国際空港の大阪誘致が本格化し、大阪府の関連業務を受託、
泉州各都市の地域整備計画づくりに取り組んだ事が今の都市計画業務の発端だ。

「決められたものやマニュアル通りの仕事は得意ではない。
新しいことをずっとやってきた」と吉野会長は言う。
例えば歴史的な町並みを大事にしたまちづくりや町家長屋を
リノベーションしてゲストハウスをつくるなど、
当時としては先進的なことに携わった。

まちづくりに関わる中で、
吉野さんには大事にしていることがある。
それは、古い町並みの風景を残していきたいという思いであり、
空堀商店街での活動もそのひとつだ。

1976年ごろ、吉野会長は仕事終わりに
いつも呑みに行っていた古いまち、
空堀商店街界隈が面白いと感じていた。

(谷町踏査団の活動で、数多くの地蔵盆をサーベイ。)

(谷町踏査団の活動で、数多くの地蔵盆をサーベイ。)



「当時、建築家やデザイナー等が集まって活動する“デザイン・サーベイ”の黎明期でした。
大阪では僕らが最初の活動だと思います。

サーベイとは民族学の言葉で“踏査”を意味します。
単に机上でリサーチするのではなく、
足を現場に踏み入れて人に会い身体で調べる調査方法です。

“谷町踏査団”と名前をつけて、大阪市立大学の学生さんたちも交えて“遊んで”いました。
毎週日曜日に集まって、面白い店とか路地、お地蔵さん、祠(ほこら)、
銭湯など変わったものを記録して、
その情報をマップに落としていくんです。
“谷町界隈絵図”というイラストマップを作って売ることにしました。
実はお金が無かったのですが新聞社に記事として取り上げられ大ヒットしまして」。

(大ヒットしたイラストマップ)

(大ヒットしたイラストマップ)



明くる日から事務所に新聞で見た地図がほしいと電話が鳴り止まなかったという。
吉野さんたちがノリでつくったものが全部売れて増刷したものも全てなくなりました。

「時代がバブルに近づくにつれて古い長屋を地上げして
マンションにしようという流れがありました。
この古い街並みを残したいと思って、
大阪市役所の人たちにも町を歩いてもらったりして、
ファンを広げていきました」。

その後、大阪市も戦後に焼け残った街並みを残そうとの動きが具体化し、
ダンは町並み保全を仕事として手伝うこととなって平野郷や空堀、
船場などのまちづくりに参加させていただいた。

空堀商店街は吉野さんが携わった頃から劇的に変わっている。
若いオーナーさんが経営するお店が増えていったのだ。
古い建物に価値を見いだして、
次につないでいくことが実現できている。
この動きは今や上町台地全体に広がっている。

(歴史を感じる町並みを活かしながらまちづくり事業をすすめている。)

(歴史を感じる町並みを活かしながらまちづくり事業をすすめている。)



富田林市の仕事もプロポーザル方式で勝ち取った。
富田林市駅南側の町並みは良く見えるが
足を運んで調査してみると空洞化が進んでいた。
高齢者が多く、若い世代の気配はまったくなかった。

空き家活用の提案は当初、市役所側はピンときておらず、
地元の方が閉鎖的なので難しいだろういう見解だった。

しかし住民の方に相談してみると賛同してくれる方が何人かいて、
じわじわと目が出て現在のにぎわいにつながっている。
ひとつひとつの仕掛けは小さいものかもしれないが、
連続していくと大きな意味があると考えている。

このように古い町並みや昔ながらのまちを大事にして
それを売りにしていくのがDANの特徴のひとつだ。
戦争で焼け残ったところを大事にしたいと吉野さんは語る。

普段は出会えない方たちと、つながっていける。

では、そのまちづくりの現場で実際に働いている方は
どんな自己実現をされているのだろうか。

入社9年目の上岡文子さんに、
数ある求人の中からDANを選んだ理由について聞いてみた。

(上岡文子さん。3歳のお子さんのいるママ。)

(上岡文子さん。3歳のお子さんのいるママ。)



大学・大学院時代から、歴史的な町並みの保存、活用に関わっていた上岡さん。
学生時代に京都市伏見区の町並み調査に関わり、
まちづくりの分野で働きたいと考えていた。

なんとなく設計の仕事に就いたものの、働く中で何か違うという思いがあった。
そんな中、恩師からDANが求人募集をしていることを知った。

「当時のDANは富田林市駅南地区の市民協働プログラム推進業務や
船場や空堀、天満地区などで展開されていた大阪市HOPEゾーン事業に
携わっていて、私の関心のある業務を行っていました。
大手シンクタンクでも歴史的町並みの保存、
活用を専門的にやっているところはそうそうないんですよ。
それで設計の仕事を8ヶ月で辞めて働かせていただきました」。

2007年1月に入社。その後は先輩たちのアシスタント経験を積み重ね、
少しずつ大きな仕事も手掛けるようになった。

(泉北ニュータウンでのイベント風景)

(泉北ニュータウンでのイベント風景)



「小さな規模の仕事から任せていただきました。
具体的には大阪市住吉区の町家調査です。
過去の調査データから現在のデータの変遷を分析し、
報告書を淡々とまとめる初歩的な仕事です」。

1年間をトータルで考えると、外に出ている時間と事務所で
報告書や資料を制作している時間が半々ぐらいだと言う。

現在は堺市の“泉北ニュータウン住宅リノベーション協議会”の仕事に
大きく関わっている。
泉北ニュータウンには実はかなり良品質の戸建て住宅の空き家があり、
リノベーションすることで若い世代に住んでもらうのが狙いだ。

大阪市立大学や建築家、不動産事業者、
まちづくりNPOなどが協議会を組織し、
堺市と協力してリノベーションによる中古住宅などの流通促進や、
泉北ニュータウンでのこだわりあるくらし
「泉北スタイル」の普及を目指している。

泉北スタイルFacebookページ
https://www.facebook.com/senbokustyle.hukyujigyo/?fref=ts

この協議会の事務局運営や取り組み支援を上岡さんはしている。
まちの未来をデザインする大きな仕事であり、
やりがいも大きいと語る。

「使っていない住宅を活用したい所有者、
中古住宅流通の新たな仕組みを模索する建築家・不動産事業者、
緑豊かで良質な住環境を維持しながらまちの活性化を目指す行政の間に入り、
それぞれの事情を汲み取っていく仕事です。
建築家の方とリノベーション住宅をめぐる
バスツアーなどを企画しています」。

(デスクワークや外部とのやりとりなど、オールマイティに仕事に取り組む。地域の人を連れてまちの魅力を探るツアーを開催した時の様子。)

(デスクワークや外部とのやりとりなど、オールマイティに仕事に取り組む。地域の人を連れてまちの魅力を探るツアーを開催した時の様子。)



物件を探している方の中には、
建物を取り壊して新築を建てたい方もいる。
誰でも良いので使ってほしい不動産事業者も多いことだろう。
思惑が違う方同士の中に入り、
話し合いを重ねることの難しさはどんなことだろうか。

「入社当初は地域の方との調整に関して、とまどいトラブルがよくありました。
私たちはクライアントである行政の意向を踏まえて、
動き発言しますが、地域の方にも思いや事情があり、
そこに差が生まれる。両者の思いを汲んで調整することは非常に難しく、
怒られることも多々ありました。

みなさんの税金でわれわれは仕事させてもらっているので
地域の方もクライアントのひとりですから怒られて当然でした。

一方で味方になってくれるとまちの方がいるとすごく頼もしいし、
楽しくなります。それぞれのまちの住民の方、
商店街や様々な業種の企業の方など、
普段は出会えない方たちとつながっていけるので、
人とつながりたいという意思の方はこの仕事は心底楽しいと思います」。

仕事の中でやりがいを感じるのは、
地域の方からのありがとうの言葉だという。
ありがちな話だが、実は感謝されることは少ないそうだ。

(学生時代から歴史的な町並みや建物が好きだったという上岡さん。「好き」を仕事にできた今、家事と育児もこなし、充実したワークスタイルを実現している。)

(学生時代から歴史的な町並みや建物が好きだったという上岡さん。「好き」を仕事にできた今、家事と育児もこなし、充実したワークスタイルを実現している。)



「行政からの委託業務ですからやって当たり前の仕事ですね。
目に見えてまちの方に直接お金が入るわけではないですから。
厳しい目で見ていただいていると思うのですが、
丁寧に仕事を続けてしばらくすると
ぽつりと感謝の言葉をいただく瞬間があります。
それがうれしくて」。

まちへの思いが大きい人も多く、
強い言葉で怒られることもしばしばだという。
メンタルは平気なのだろうか。

「うたれ強いんでしょうね、私が。私たちにも譲れない部分はあり、
限度を超えると喧嘩になることもあります。
まちに関わる方はみんな個性が強いですから(笑)。

でも喧嘩やトラブルを乗り越えたあとに
人間関係がフラットになる瞬間があるんです。
戦友のような関係になったときに、救われた気持ちになりますね」。

そんな濃密な時間を多く過ごした富田林市寺内町では、
市役所からの委託業務は終了しているが、
現在はまちで知り合った方たちといっしょに
空き家活用の組織「LLPまちかつ」を立ち上げた。

富田林駅南地区の空き家などの
活用希望者と所有者との橋渡しをする業務に関わっている。

(富田林市寺内町は現在、雑誌やフリーペーパーで多く取り上げられている。)

(富田林市寺内町は現在、雑誌やフリーペーパーで多く取り上げられている。)



スタートしてみると住みたい人よりも
圧倒的に店舗をやりたい人が多い状況だった。

富田林市や河内長野市出身の方が多く、
手先が器用だから商品を売りたいという方が多く来られた。
活用される方はリタイア層と30代前後の女性が多いらしい。

「最近では油のセレクトショップをしたいという方や
作家を目指す若い夫婦が来られました。
人がたくさん来る場所ではないですが、
土日になると町並み散策される方が増えています」。

まちづくりチームは、ほとんどが30代女性。

上岡さんの仕事の全体像をふんわりと掴んだところで、
今回の募集職種である
“まちづくり研究アシスタント”と“まちづくりデザインスタッフ”の
2職種の詳しい内容について詳細に紹介したい。

“まちづくり研究アシスタント”はその名のとおり、
上岡さんたちのサポートをする仕事だ。
上岡さん自身も先輩たちのアシスト業務をしながらステップアップしてきた。

具体的にA市の仕事の一例で紹介すると会議のサポート業務がわかりやすい。
地元でまちづくりに関わるNPOの方、事業者、
大学などを交えた会議が月1回のペースであり、
その会議の運営や資料づくりをする上岡さんをサポートする。
項目を列挙してみる。

[“まちづくり研究アシスタント”仕事の一例]
・会議に参加される方にメールや電話で進捗をお知らせし、会議日程を調整する。
・会議の発言内容やイベントの様子をレポートし、撮影。記録内容をもとに報告書を作成する。
・まちづくりに関するイベントのチラシを編集する。

まちの魅力を発信するためにイベントを仕掛けていくことが多く、
そのためにチラシを制作する業務が発生する。
短時間で制作する必要があり、外部のデザイナーに発注するのは
時間的にも予算的にも難しいため、
これまでは上岡さんやアシスタントスタッフが兼任していた。

(まちづくりの会議風景)

(まちづくりの会議風景)



「本業ではないのでチラシなどを考えるときに
いつも同じような内容になってしまっていました。
これからは“まちづくりデザインスタッフ”と
“まちづくり研究アシスタント”とで時間を補い合います」。

“まちづくりデザインスタッフ”の仕事は
グラフィックデザイン以外の仕事も考えられる。

[“まちづくりデザインスタッフ”仕事の一例]
・アシスタントスタッフと相談しながらチラシを作成する。
・研究アシスタントによるイベントレポートをwebサイトで公開する。
・イベント会場や会場までの案内サイン、名札づくりなど、訪れる人の導線をデザインする。

以上の列挙はあくまで想定の範囲であり、
ご自身のできることを拡張する機会にしてもらいたい。
DANの仕事を把握してもらうために、何日間かは事務所内で作業し、
まちづくりの仕事がどんな仕事なのかを理解してもらう。
それ以降は自宅作業でSkypeなどでやりとりも可能だ。

求める人材像は、学生時代や結婚前にまちづくりに関わる仕事をされていた方や、
子育て中でそろそろ週2、3日は働きたいという方をイメージしている。

(子育て層向けのイベントやセミナーの運営も手がける。)

(子育て層向けのイベントやセミナーの運営も手がける。)



「わたしたちのチームはほとんどが30代女性です。
子育て中の方をイメージしたのは日常のたいへんさに理解がある分、
働きやすいのではと感じました。
その人材像に固執してしまうと該当する方が狭くなってしまうので、
まちづくりに関わった経験がなくても、
イベントなどの催しを自分で企画して開催した経験のある方などは
説明が省けるのでありがたいと感じています」。

上岡さん自身、
3歳のお子さんを子育てしながら働いている。

「子どもを保育所に預けてから9時半に出社して5時半には帰宅するサイクルです。
会社からは在宅でもオッケーと言われているので
仕事の現場が南大阪の自宅に近ければ会社に来ない日もあります。
この生活のリズムも掴めてきたので、
今後は空き家活用以外の違うテーマにも
取り組んでいきたいと考えています」。

さまざまな地域のエピソードをお聞きすると、
まちを動かしていくダイナミックな仕事だと感じる。
しかし現実はとっても地味な作業ですよ、と上岡さんは強調する。
子育てイベント「『こんなに地味とは思わなかった!』と思われないように
事前に伝えておきたいのですが、例えば空き家の調査などでいいますと、
現地で調査した内容を地図と照合し、住所の番地までエクセルに入力していくといった
単純だけど膨大なデータをチェックする根気のいる作業です」。

しかしその細かい作業のあとに、
関わるまちがよくなっていく未来が見えるから
コツコツとやっていけるのだという。

この仕事の理想の人物像に
“学生時代や結婚前にまちづくりに関わる仕事をされていた方”を
イメージしているのはそこにある。

関わりをもつことでまちがよくなっていく実感がなければ、
この地味な調査活動の先にある未来に目を向けることが
できないかもしれないと感じているからだ。

実際に“まちづくり研究アシスタント”の方が
今取り組んでいる作業を聞いてみた。

「WordとExcelを操作して企画書から報告書まで制作しています。
締切さえ守れば自由にやらせてもらえるので
私のように子育て中でも働きやすいですよ」と語るのは
“まちづくり研究アシスタント”の吉田さん。

また、「仕事を通じて勉強させてもらっている」とも付け加える。
それを聞いて上岡さんも「私もそう! 仕事しながら
学ぶ時間も与えてもらっています」と語った。

名刺にある“まちづくり研究員”という肩書きは、
調査しながら研究をして、突き詰めていくことを意味している。
ただ業務を受けるだけでなく、研鑽しているのだ。

冒頭ではDANの業務は大きくわけて
まちづくり分野と知財分野の2本にわけられると記した。
まちづくり分野以外に、なぜ知財分野も扱っているのだろうか。

その疑問をDANの社長で
知的財産に関する国家資格をもつ宮尾展子さんが
噛み砕いて説明してくれた。

(宮尾展子代表取締役所長。知財関係のスペシャリストであり、1児の母でもある。)

(宮尾展子代表取締役所長。知財関係のスペシャリストであり、1児の母でもある。)



「産業を地域につくるために計画を立てています。
例えばある鉄道会社の土地があるとします。
そこに産業団地をつくって企業を誘致しようとしたときに、
誘致する前段階の調査をしたり、知財経営のセミナーを開催して
企業の方に学んでいただいたりします。

知的財産に強い企業というのは成長性があって
利益率が高い企業ですし、地域にとっては重要な企業です。
まちをつくるという意味では企業も重要なプレイヤーなので、
地域の企業の方にどのように活性化してもらうか、
そのためのコーディネートをします」。

DANの業務がまちづくり分野と産業・知財分野の2本柱であることがよくわかった。
最後に、まちがどう変わっていくのが理想の将来像なのか
上岡さんにお伺いした。

地域の方が自発的に動いてにぎわいをつくる状態をつくりたい。

「住民の方やこの場所が好きだという方などが、
自分たちの発議でまちのにぎわいをつくっていけたらと思います。
地域の方が自発的に動いていける状態を、
おこせるような状況をつくりたいです」。

あと、若者や子育てしている女性が
地域の中にちゃんと自分の居場所をみつけられる。
そうなれば生きやすい社会になるんじゃないかな。
そういうことをすごく気にかけるようにしています。」
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DANは「緂」という漢字に由来する。
“つなげる、盛んにかがやく”という意味があり、
”様々な個性が組み合わされ、繋ぎ合わされて美しく強い1本の糸となり、
綱となるような研究所になろう”という意図がこめられている。

さまざまな個性とあるので、
まちづくりの経験の度合いはあまり気にしなくて良いと思う。

ここまで読んでピンときている方であれば、
教育、防災、高齢化など地域を取り巻く課題を感じ取っている方だろう。
さまざまな経験を持つ方に挑戦してもらいたい。

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Job description
募集職種
企業名・団体名
株式会社ダン計画研究所
募集期間
2016/3/5(土)〆切
募集業種
① まちづくり研究アシスタント
まちづくりに関連する調査、資料作成、ワークショップ、イベント等のアシスタントを行います。
(ご希望・スキルに応じて相談)

② まちづくりデザインスタッフ
まちづくりに関連する広報デザインやイベントパンフ、WEB等のデザイン、取材等を行います。
(ご希望・スキルに応じて相談)
雇用形態
① 非常勤(週3~5日程度)
② 非常勤(週1~2日程度)
応募資格
① ワード エクセル、フォトショップ等の
操作ができる方 (同種の実務経験のある方優先)

② office、Illustrator、Photoshopの操作が
得意な方(同種の実務経験のある方優先)
勤務地
大阪市中央区大手通1-2-10(自宅作業相談に応ず)
勤務時間
9:30~17:30(応相談)
給与
日給7,700~10,000円(経験・能力による)
休日・休暇
土、日、祝日(地域でのイベントなどがある場合は出勤頂く事があります)
待遇
交通費支給(上限1日1,200円)
採用予定人数
① 1名 ② 1名
選考プロセス
1)本サイトからエントリー後、
履歴書・職務経歴書を【〒540-0021 大阪市中央区大手通1-2-10】までご郵送ください。
※お送り頂いたものはお返ししておりません。

2 )書類審査後、採用・不採用どちらの方に対しても結果をご連絡

3 )お電話にて面談日時を相談の上、決定。

4 )一次面談を実施

5 )面談の結果を全ての方にお知らせし、採用が決定

6 )勤務開始
応募者へのメッセージ
① まちづくりに思いや関心があり、粘り強く、
やる気のある方を募集しております。

② まちづくりの現場であなたのデザインスキルを
活かしませんか?情熱のある方を募集しています。
ご応募おまちしています!
WEBサイト
http://www.dan-dan.com/