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元気という感動を添える魚屋
鮮魚たかぎの創業は、1967年。
現在の代表取締役・高木仁さんのご両親が営む、町のちいさな鮮魚店としてはじまった。
当時は、家族が店を手伝うこともあたりまえの中、
高木さんも幼稚園の頃から店に出入りしていたという。
「当時は、製氷機がなくてね。中央市場で買ってきた大きな氷をトンカチで砕くの。
それが僕の仕事。小学校になっても、夏休みと冬休みは店の手伝いで、
作業着を着させられ、長靴を履いて、鉢巻きまでしてね。
魚を袋やトレイに入れたり、値札を貼ったりなんかしてたわけ。
いまでも鮮明に覚えてるけど、夏のある日、同じクラスのかわいい女の子が浮き輪を抱えて、
お母さんと手をつないでやって来て。『高木くんや!』って。
もう恥ずかしくてね(苦笑)」
中学、高校時代も手伝いの日々は続いた。
けれど、大学卒業後は証券会社へ就職することを決めた仁さん。
バブル真っただ中で、「儲からない魚屋を継いでも仕方がない」と思っていたのだそう。
無事内定が決まり、入社も間近という時、一緒にビールを飲んでいたお母さまが何気なく呟いた。
「あんたが継いでくれへんから、もうお父ちゃんとお母ちゃんがやってきた店閉めるわな」。
その言葉がぐさっと胸に突き刺さった高木さん、それが“儲かる仕事”という選択肢ではなく、
“実家の魚屋を継ぐ”ことを決意した瞬間だったという。
そうして始まった親子での運営を経て、仁さんは「有限会社たかぎ水産」を立ち上げ独立。
1995年に、お父さまが営む「株式会社鮮魚たかぎ」と合併し、現在に至る。
当時は、2つの鮮魚店のみだったが、現在では寿司専門店を含む22店舗に。
商店から企業へと成長を果たすも、「昭和の魚屋のイメージはそのまま」。
「そこでうちは、“元気”という感動を添えた商品を提供していこうと。
たとえば、競合店が1匹100円で売っているサンマを、90円にするのではなく、
同じ価格で、元気というオマケを付けて提供する。
明るい店には、お客さんが自然と集まってくるからね。
僕が幼い頃から経験してきた魚屋の活気を、現代の店舗でも再現したいと思っています」
5年先、10年先を見据えて
27歳で独立した頃から、会社を成長させたいと野望を抱いていた高木さん。
その理由は、「負けず嫌いやったのかも」と笑う。
「親父と一緒にやっていた頃、仕入れで市場に行くでしょ?
すると、10店舗、15店舗と店を構える魚屋さんも買いに来てるわけ。
それを横目で見ながら、“いつか追い抜いてやる!”と闘志がみなぎってた。
自分なりのベンチマーク企業を設定して、まずはそこを目標にする。
そして達成したら、また新たな企業を見つけてという風に、この指とまれ!で集まったスタッフと一緒にここまでやってきたんです。もちろん、途中には社員教育のために歩調を緩めたりもしながらね(笑)」
商店街や路面店に代わり、モールや大型スーパーが増加する昨今。
そんな時代の移り変わりに柔軟に対応していることも、鮮魚たかぎが成功している理由だ。
20年前には各家庭にあった出刃包丁も、今やあたりまえではない。
ライフスタイルが変わり、魚を丸1匹買う家庭は激減。
刺身や切り身を購入する消費者が増えた。
そうした変化を細やかに察知し、刺身から寿司、煮魚や焼き魚といった惣菜まで、
ラインアップを拡大してきた。
「5年先、10年先の魚屋がどうなるか?ということを常々考えてます。
僕が小さい時は、“胃袋でメシを食う”時代だった。
高度経済成長期で、お腹一杯ごはんを食べて、一生懸命働く時代やね。
ところがバブルになって、お金持ちが増えて、フォアグラやトリュフ、魚ならキンキやフグなどの高級魚を食べるようになった。いわば“舌で食う”時代に変わってきたんやね。
さらに20年経った今はというと、バブルがはじけ、リーマンショックも起こった。
経済は疲弊しているけど、フォアグラをどこかで食べたことがあるって人はきっと多いはず。
だから、その味も知っている。
ということは、今は“脳みそで食う”時代なんや。
脳みそがくすぐられてはじめて、お客さんは商品を手に取ってくれる。
北海道産、天然、鰤(ぶり)を羅列しただけでは響かない。
そこで、たとえばポップを付ける。この鰤の切り身を醤油焼きにして、オリーブオイルを添え、
お酒は月桂冠の甘口を合わせると、お父さんが喜びます、とかね(笑)
お客さんがハッピーになれるような情景を描くんです。
たいていのお客さんは、その日の献立や買うものを決めずに買い物にくる訳でしょ?」
と、消費者のリアルな感覚を捉えた経営が、鮮魚たかぎの強みだ。
たしかに、鮮魚たかぎの店頭には、脂の乗り具合やおすすめの調理法などを記載した
ポップが目立つ。“肉に負けてたまるか!”と言わんばかりの、
魚の魅力を何とか伝えようとする店の熱量が伝わってくる。
日本の魚文化を守る
仕入れた魚を見て、調理法をイメージし“切り方”を変える。
その調理法をお客様に伝えることに加え、肉にはない「旬」を伝え、その美味しさを知ってもらうためにポップをつくって、アナウンスすることも忘れない。
そんな日々のささやかな取り組みから、
「魚を通じた食文化を守り発展させる」という経営理念を貫く。
また、鮮魚部門だけでなく、ここ数年、寿司部門に力を注ぐのも、
「もっといろんな美味しい魚を食べてもらいたい」という想いがあるから。
「たとえば、給料日で食材を奮発しよう!というときに、
100グラム1,000円のお肉は買うけど、1匹3,000円の魚は買わないでしょ?
ただし、それが外食の場合だったら、1匹数千円の魚だって食べるよって人が多いわけ。
ということはつまり、お客さんが小売りの魚屋さんに求めるのは“大衆魚”なんやなと、
改めて気付いたんです。日常的にキンキやノドグロは買わないんやな、と。
でも、こちらとしては、その美味しさを知ってほしいわけです。
そこで、実際に“食べる機会を提供できる”寿司屋は、絶好の場やなと思ったんです」
そんな熱意ある高木さん。実は、水産庁からの御指名で、国産水産物流通促進センター 店頭学習指導員なる肩書きも持つ。その役割はというと、大手業者のあおりを受けて、衰退し続ける魚屋を指導し、売り上げを好転させること。つまり、魚屋を助ける先生だ。
日本の水産業界全体を活性化させようとチャレンジする姿が、とても頼もしい。
コミュニケーションが苦手でも大丈夫
今回の求人は、鮮魚の加工や販売をおこなう鮮魚店スタッフ。
はじめは、簡単な盛りつけからスタートし、次第に調理や接客にうつっていくのだとか。
「年齢や経験は関係なし。元気な方がいいけれど、うちに入ったら人見知りで声を出せない子も元気になる」と、高木さん。
というのも、鮮魚たかぎ守山店店長であり、営業担当マネージャーも務める山階昭仁さんは、
元ひきこもりの青年だったからだ。
中学1年生の3学期以降、すべて不登校。
「いちおう」高校進学を決めるも、通信制で授業は週1日のみ。
「暇すぎる」毎日の時間を埋めるべく、鮮魚たかぎのアルバイト枠にもぐり込んだ。
「仕事を選ぶ、とか、お金を稼ごうなんて感覚はなかった。
どうしたら時間を潰せるか?が大問題で、魚屋ってことも知らずに入って(笑)
(当時)16歳で、そもそも採用してくれるところがなかった」
屈託なく話す山階さんは、本当にひきこもりだったの!?と疑いたくなるような好青年。
こちらの目をしっかりと見て、話を続ける。
「週6日はバイト。入りたての頃は、簡単な盛りつけ、ゴミ捨て、掃除。
あとは、ひたすら声出しをしてました。
最初は、魚の知識がないから、商品名や値段を言うくらい。
それでも、声を出すことにはかなり抵抗がありました。
誰ともしゃべらない生活だったので、声が出ないんです」。
鮮魚店の朝は早い。朝8時には店に入り、魚がぎっしり詰まったケースを運ぶ。
ケースには、鮮度を保つための氷が入っているから冬場の寒さはひとしお。
現在では10代〜20代がたくさんいる陽気な現場だが、当時は「オッサンばっかりでうるさかった(苦笑)」と、山階さん。「何度もやめようと思った」そうだが、結果、29歳の現在まで一度も辞めることなく、キャリアは13年に。
「簡単な盛りつけだけだった仕事が、包装して値付け、品出しまでするようになり、
お寿司や煮物、焼き物なども作るようになって。
2年目くらいには、魚のさばき方を教えてもらいました。
自分が調理した魚をお客さんが買っていくのを見ると、嬉しかった。
すると、掛け声にも気持ちが入りはじめて、さばいている時に脂が乗ってて旨そうやな〜と思ったら、“脂乗ってますよ〜”と、声を出せるようになったんです。
“この前の美味しかったわ”と、話し掛けてくださる方もいました。
他人の、しかも、子どもだった僕にフラットにね。その関わりが励みになりました」
お客さんと触れ合いのある鮮魚店。
現在も、昭和風情あふれる接客スタイルが、鮮魚たかぎの自慢だ。
約2年のアルバイト期間を経て、正社員になった山階さん。22歳で副店長、24歳で店長就任。
今年は、守山店を含む4つの鮮魚店を運営管理するマネージャーを任されるまでに。
はじめは、社内の挨拶さえ苦手だったそうだが、彼を変貌させたのは何だったのだろう?
「活気がある社風にのまれたんですよね(笑)
相談できる先輩がいて、同年代の仲間がいることも良かったのかもしれません。
それから、ちゃんと見ていてくれる代表の存在ですね。
店長やマネージャーになれたのも、代表のひと声があったから。
ひきこもりだった僕を、会社が変えてくれたんです。
いまは恩返しというか、会社のために、という気持ちが強いですね」
新入社員は、まず調理場の作業を覚えながら、掛け声の練習をするのだが、
「調理場でのたわいない会話からはじめて、徐々に声を出せるようになってもらえたら」
と、山階さん。
人見知りでも、その気持ちを心底わかってくれる先輩がいるから、心配はない。接客業が苦手な人こそ、深く受け止めてくれる職場だ。
現在では、店舗の売り上げや利益においても責任ある役職につく山階さん。
背負うものは大きいけれど、それこそが仕事のやりがいにも繋がっているようだ。
ちなみに、覚悟しておくべきことは?と訊けば、「魚の臭いがつくこと」だそう。
鮮魚部門だけで14店舗があり、配属される店舗によって忙しさは様々。
繁盛店なら、1日200匹の魚をさばくこともあるという。
さばき担当、刺身担当、盛りつけ担当など、どれも分担作業ながら、臭いの問題は全者共通。
繁忙期はお盆や年末年始、ゴールデンウィークなど、世間が休日のシーズン。
ゆえに、サラリーマンのように土日祝など、固定で休むことは難しい。
「友だちと飲みに行ったら、『お前、魚の臭いするぞ』って言われますね」と、軽やかに笑う山階さん。
しかし、いまではこの臭いさえも、彼にとっては魚屋の勲章なのかもしれない。
近江から世界へ
現在、鮮魚たかぎは、2つの新たな挑戦に乗り出している。
1つは、滋賀の水、近江のブランド米、そして酒粕など、地場産品とタッグを組み、鮮魚たかぎの目利きで仕入れた魚で仕込む『熟成酒粕近江漬』の開発だ。鮮魚部門と寿司部門からなる店舗経営とは別に“ものづくりができる会社として勝負したい”という代表のアイデアによりスタートしたもの。試行錯誤を重ねた結果、2015年にはネットショップを中心に販売を開始するそう。
もう1つは、海外出店。和食がユネスコ無形文化遺産へ登録され、空前の寿司ブームを迎える今、世界有数の良質な漁場を持つ日本の魚と、その繊細な調理技術を世界に売り込むチャンス。
なかでも韓国を第一候補に、出店の準備を進めているとあって、ITに自信がある、あるいは海外勤務希望者は特に必要とされる人材になりそうだ。
”ねぎらい”のある職場
そんな海外進出を視野に入れ、現在8店舗を展開する寿司部門。
ここに、異例の新人として入社したのが米山喜博さんだ。かつては、鮮魚たかぎの取引先である機械メーカーの営業マンだったが(!)、代表のヘッドハンティングにより入社。
客観的に鮮魚たかぎを見てきて、「これから成長する会社」だと、確信していたという。
「時代の1歩先ではなく、3歩も4歩も先を見ている代表に付いていきたいと思いました。
実際に入ってみて、会社が大きく変化していく予感を端々で感じます。
“次の事業展開をどうするか?”というような重要な話に参加させてもらえることが、
何より楽しい。年功序列がなく、やる気ある人が意見を言える風通しのいい環境も魅力ですね。
いいものはいい、と取り入れてもらえるし、やった分だけ評価をもらえる」
異業種から転向して、1年とすこし。
鮮魚たかぎでのキャリアは、決して長くない。
それでも米山さんは、4つの寿司店舗を任される寿司事業部のエリアマネージャー。
現在は、主にシステムづくりに注力しているというが、「いまの役職は、ほんと、たまたま就いたものなんです」と謙遜する米山さん。
こうして気概ある社員に役割を与えてくれるのも、鮮魚たかぎの魅力だ。
かつての職場は“オフィス”だった米山さんだが、現在はスーパーマーケット内の“寿司店”。
「これまで魚をさばいたことがなかったのですが、自分で数をこなして覚えていくうちに、
ある日、ネタのサンマを薄く切ることができるようになった瞬間があったんですね。
些細なことなんですけど、異業種転職組だからこそ、小さな喜びが毎日訪れる感じです」
そんな社員の人生を一変させ、見込みある人材は取り込み、力を発揮する現場を与える。
「エネルギーが湧きでている人」という表現がぴったりの高木社長は、社員からの信頼も厚い。
その秘密は?と疑問を抱えながら話をしていたら、高木さんが社員に対してのひとつのモットーを教えてくれた。
「社員は褒めるのではなく、“ねぎらう”ことが大事」。
その場限りの甘い声掛けである“褒める”に対して、
その人の成果に対して真っ当な評価を態度で示す“ねぎらい”を大切にしているのだという。
褒められた喜びは一瞬で消えてしまうけど、ねぎらいは長時間効く最高の薬。
魂のメディスンやね。
その“ねぎらい”があれば、誰でもやる気のスイッチが入る。
スイッチはみんなが持ってるものだから、いくら元気がない子でも、
オンにしてあげたらいいだけなんです」
ひきこもりを経て店長になった山階さんを変えたのも、この代表の“ねぎらい”だったのだろう。
魚をさばくスタッフも、掛け声を投げていたスタッフも、山階さんや米山さんも、
まるで目に見えない高木社長のエネルギーが店舗全体に波及しているかのように
誰もが活き活きと動き回り、ほがらかにお客さんと接する姿が印象的だった。
もし自分がこの職場に入ったら、どんな成長を遂げるだろう?と、思わず期待してしまう。
それほど勢いがあり、未来を楽しませてくれる雰囲気が、鮮魚たかぎにはある。
(取材・文/村田恵里佳、撮影・コーディネーター/榊 沙織)