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アイデアはお笑いに似ている
(「中2病みたいな社名でしょ」と語る久米洋平さん。)代表取締役の久米洋平さんは専門学校でデザインを学び、卒業後は制作会社に入社。
出向先でテレビ局のグッズの制作や、ラジオ番組のディレクター、関連イベントのディレクションなど、デザインだけではなくディレクションの領域でも様々な経験を積んでこられた。楽しいけれど忙しくて眠れない日々。毎年入院するはめになり、退職したという。
「親父が鞄のデザイナーであることと、自分が昔、マンガ家などの絵を描く仕事をしたかったこともあって、退職後はデザインを一から勉強したいと考えました。」
その後、つきあいのあった企業や先輩からデザインの仕事依頼を受けるようになり、個人事業主として働くことに。大阪・上本町のビルの一部屋を自営業仲間とシェアしていたそう。
「25歳ぐらいの頃です。しばらくして僕が抜けることになったんです。
自身でオフィスを持ってひとりでやろうと思って、集合オフィスから卒業しました。
お客様の立場に立って考えると、セキュリティー面や安心感的にも、
オフィスをもってしっかりやったほうがいいかなと思いました」
それから9年。制作されたものを見せていただくと、誰もが知っているような繊維メーカーから家電メーカー、大学、映画の公式サイトなどの販促物、webサイトなど幅広く制作されている。残念ながら権利の関係でその多くはお見せすることはできない。
今後採用する方の主な仕事の内容は、経験にもよるが大きくふたつあり、ひとつはデザイナーのアシスタント業務。そしてもう一つはアイデア会議で企画を出すことだ。
「アイデアって結構お笑いと似ているところがあると思うんですよ。ある一定の常識とかモラルを知っていて、それをわざと崩せる人が大事かなと思っています。常識的なことを知っているかがポイントですね」
関西のデザイン業界では珍しく、webやグラフィック、CGなどをまとめて制作しているプロダクションであるため、「データの管理も含めて全てお願いします」と依頼されることが多いそうだ。
もう少しで34歳になる久米さん。創業期のメンバーが結婚をしたり、ひとり、ふたりとスタッフが入っていくに連れて気持ちが変わってきたという。
「最初は個人で仕事をやりはじめて、みんなが助けてくれるという意味でどこか依存しているところがありました。責任をそこまで大きく感じていない時期がありましたが、やがて法人になって今まで会ったことのなかったスタッフを採用するようになってから、すごく怖くなりましたね。動くお金も変わってきたし、仕事の規模も変わってきました」
働きやすい環境を常に考えておられ、今の制作環境では狭いらしく、年内には事務所移転する。働きやすさのための設備にもお金をかけているそうだ。
アメリカとヨーロッパに会社をつくる。
現在社員は9名。来年にひとり内定が出ており、さらに研修でドイツからも大学生がやってくる。久米さんの視線の先には海外も見えている。
「ヨーロッパとかアジア圏向けに広告物をつくることもあるんですが、向こうの代理店に見せるとはじかれることもあります。
日本の広告はコピーとか文字で伝える“ことば”の影響が大きいと思いますが、海外では文字を読める人とそうでない人とさまざまいらっしゃるので、文字で説明する考え方が少ないようです。
ビジュアルのインパクトであったり、そういったデザインの力が大きい。いろんな国の文化に左右されないようなデザイン会社をつくりたいというのが夢です」
久米さんは、すでにその夢のための準備をしている。今年か来年には、アメリカのポートランドに行く段取りをつけているそうだ。
「日本だけで広告の仕事をするのは正直しんどいと思っています。海外ではマーケットや統計などの情報を社内に蓄積しながら、データに基づいてデザインをすすめる、そんな流れが一般的だと聞きました。
日本で仕掛けていくには道が長過ぎるけれど、デザインは世界共通のものなので、世界で勝負していきたいと考えています」
夢は大きい。どんな人が働いているのだろうか。
「元空手の先生とか元競走馬の牧場スタッフとか、いろんな経験を積んでいる人がいますよ」と教えてくださった。
では、その元競走馬の牧場スタッフとして紹介された今市保弘さんにも話を聞いてみたい。
競走馬の仕事がしたかった今市さんは高校時代に馬術部に入り、インターハイにまで出場された経歴がある。卒業後は、北海道の有名な競走馬の生産牧場に就職した。
「怪我をして、将来の不安もあって辞めて帰ってきました。お金が必要だったのでパチンコ屋で働いていたら、いつの間にか出世してしまって。でもやりたいことをしようと思って専門学校に行きました」
そこでデザインを学び、卒業後に大阪の大きなデザイン会社で3年ほど働いた。
「すごくレベルの高い会社だったので勉強になりましたが、いろいろと折り合いがつかなくて辞めました。27歳ぐらいの頃ですね」
辞めたものの、携わっていたあるクライアント先から仕事を継続してほしいとお願いされて、前の会社の了解を得てしばらくフリーランサーとして受けることにしたそう。
「どこで仕事しようかなという時期に、ちょうど久米さんから『会社つくるねん、うちにきたらいいやん』と言ってもらいました。それで最初は机を間借りさせてもらっていたんです。一緒に働いていたみんなとも気が合ったので、いっしょにやることになりました」
久米さんと、CG制作をしている石橋さんは、前の会社では外注で仕事をお願いするフリーランサーだった。
「僕が前の会社にいたときに、外注スタッフとして、二人にレタッチとかビジュアルづくりを手伝ってもらっていました。
インフィニティスタイルには最初は久米さんとweb担当の三木さんと小池さん、CG担当の石橋さんの4人がいて、法人化したときに、ちょうど僕が合流することになって、グラフィックとwebとCGの案件をみんなで横断するように仕事をしているうちに、いつしか軌道に乗ってきて、今にいたります」
合流する前は一人ひとりがフリーランサーとして独立していた。だから会社員のように自動的に給料がもらえるからサボるという感覚の人はいない。
仕事の管理が一人ひとりできるメンバーがそろい、その売り上げを会社という貯金箱に入れているような感覚だという。
「この会社に来てからは管理する上司がいないから、全部自分でやらないといけないんですが、やっているうちに好きなように仕事が回せるようになって、それからは面白くなりました。
最初の5人は銀行の残高情報もシェアしたりしているんですよ。少しずつ会社にお金が増えて行くのがよくわかりました」
働きやすい仕事環境もデザインする。
また、多くの広告制作会社と比較すると断然働きやすい。
(集中して制作作業に取り組める環境がある。)「デザインの仕事は職人気質なところもあるので、前のデザイン会社では怒られることも多かったです。勉強とか修行という意味では結果的に良い面もあると思うのですが、うちでは、新人の子に怒ったりする事はあまりありません」
あと、企画提案のアイデア会議とかって、時には殺伐とした雰囲気になってしまうこともあると思うのですが、それって考えるほうも萎縮してしまうので、うちの会社では、面白くなくても面白がってやろうみたいな感じで、ワーキャー言いながらアイデア会議をやっています。
すると逆に実のあるアイデアが出たりしてアイデアが面白く転がっていって…。クライアントにも企画面で評価をいただけています」
「Googleドライブにエクセルデータを入れて、進行中の案件を全員が把握できるようにしています。すると全体の仕事の総量が見えるので漏れがないように動けます。」
iPadのアプリを使って、タイムカードのようにも使っているそうだ。
「最初の頃はお昼12時までに来たら何時でも良いというルールにしていたんですよ。そしたらみんな12時にしか来なくなって(笑)。『これはまずいな。電話も朝からかかってくるので、10時には全員出社しよう』と言って出社時間が決まっていきました」
創業メンバーが会社員経験やフリーランス経験を積んできたため、それぞれの良い点をうまく取り入れて、働き方も少しずつ修正されているようだ。
「みんなで良い会社にしていこう」という姿勢が伺える。
「前に勤めていた会社では泊まりも多くて、オフィスの椅子を壁に並べて寝るような生活をしていました。
今は、自分が管理している案件は、作業してくれるスタッフのスケジュールも考えてなるべく無理がないように考えています。
この人ならこれぐらいの時間で作業できるだろうと推測して仕事を割り振ったり、休みや仕事の後のプライベートの予定もなるべく考慮したりしてるので、以前のように会社に泊まって仕事をするようなことはほとんどなくなりました。
上に立つスタッフが働きやすい環境を心がけているため、今市さんのような経験をしてきたデザイナーの方にとっては働きやすい職場だろう。
「そういえば久米さんの思いつきで生まれた福利厚生がありますよ(笑)。『希望者がいれば海外にいこう!会社がお金を出す!』というもので、僕はカナダとドイツに行きました。ちょうどカナダ留学の斡旋をする案件の仕事をしていたので、カナダの担当の方にも会いに行きました」
趣旨としては、みんながいろんな経験をしようというもの。今市さんはドイツでパスポートを盗まれたらしく、趣旨どおり様々な経験ができたそうだ。
自立にこだわる理由
最後に久米さんからポロッとでてきた話をぜひとも紹介したい。
実は久米さんには就職した1社目で苦い経験がある。
その話の前段は会社をどうデザインしていくか、という内容からはじまった。
「僕は、デザインするだけがデザイン会社じゃないと思っていまして、企業の価値も含めてデザインしていきたいと思っています。そうしていかないと、いっしょに働いているみんなに迷惑かけてしまう。
デザイン会社というのは、ある程度の年齢に達成すると縮小していくケースも多いんです。
ええ歳になって『ごめん! 会社縮小する』とか言うのはかわいそうなので、みんなを死なせないためにはどうするか常に考えています」
久米さんとのインタビューの中では依存、自立という言葉が何度も登場した。どうしてもそこまで自立にこだわるのだろうか。
「僕は、自分ひとりでちゃんと立つことが誰かの役に立つというイメージをもっています。
もっと強くなれば、まわりの誰かの役に立てるのではないかと思っていて、それの繰り返しですね。
デザインに限らず、何かに依存して頼ったりするのが苦手なんです。というのも僕自身、初めて働いた会社で干されたことがあって…。卒業当時めちゃくちゃ天狗だった時期があるんです」
専門学校時代に内定がたくさんとれたことが、久米さん自身が語る「調子に乗った原因」のようだ。
「かなり高待遇の会社で重宝してくだったのですが、イキってました。当時は僕がいないと困るでしょう的なノリだったんです。その反動で、ものすごく干されまして、結果的に自主退職しました。僕のせいなんですよ」
会社に行って定時まで与えられたデスクに座り続ける日々。自分の名前を呼んでもらえない日常に、耐えられなくなった。
「社会人として世の中から自分に声がかからないことの恐怖が、自分の中ですごくあったんですよ。もう、くたくたになって、ものすごく落ち込んで、しばらく動けなくなりました」
プライドがズタズタになる中、専門学校の就職課に戻って、デザインの仕事ができる会社はないかと訪ねた。
「専門学校の先生から結構そういう性格は指摘されていたんです。『その格好のままでいいから今日面接のあるデザイン会社があるから行ってこい!』と言われて。その場で履歴書を書いて、面接会場に行ったらみんなスーツを着ているのに僕だけペラッペラの格好だったんです」
採用枠はひとりだけ。案の定、面接の部屋に入ると「なんや君は。私服やないか」と言われた。
「履歴書をペラッと出して、1社目を辞めた理由を洗いざらい話して、私服で来た理由、デザインの仕事がしたい理由を話しました」
自信過剰な思いを捨てた瞬間だった。
「そしたらそこの社長がその場で『こいつ採用するわ!』と言ってくれたんです。その日から、とにかく自分の名前を呼んでもらえることは全力でやろう。とにかくなんでもやろうと思ったんです」
久米さんはその社長とは今でもずっと仲が良いらしい。さらに1社目の会社にも後日謝りに行ったという。
「その時にみんな、いいことを言ってくれました。半分むかついていたし、半分はきみのためを思ってもあったと。だから『自分の名前を呼んでもらえる場所』は、絶対大事にしたいんです」
こんな正直な社長の元であれば、少々の挫折も乗り越えられるかもしれない。今働いている職場が働きづらいと感じているデザイナーの方、自分の力を試したい方はすぐにでも履歴書を準備してみてはどうだろうか。
- 企業名・団体名
- 株式会社インフィニティスタイル
- 募集期間
- 2016/1/12 〆切
- 募集業種
- グラフィックデザイナー
- 雇用形態
- 正社員
- 応募資格
- 【正社員(中途)】:
●グラフィックデザインの実務経験2~3年の方
●Adobeツール群(Photoshop、Illustrator、inDesign等)の操作ができる方
【正社員(新卒)(第二新卒)】:
●(新卒)2016年3月卒業見込みの方
●(第二新卒)2015年3月卒業生の方
●Adobeツール群(Photoshop、Illustrator)の操作ができる方
- 勤務地
- 大阪市中央区南本町4-5-7東亜ビル 1101
- 勤務時間
- 10:00~19:00
- 給与
- 応相談(給与は、経験・スキル・前給等を考慮し、面談の上決定いたします。)
- 休日・休暇
- 土、日、祝日、夏季・年末年始休暇
- 待遇
- 交通費一部支給 (月2万円まで)
昇給・賞与(業績による) ・各種社会保険完備
- 採用予定人数
- 若干名
- 選考プロセス
- 1)本サイトよりエントリー下さい。
2)エントリー後、自動返信メール記載のアドレスまで、ご応募者様の情報、履歴・職歴、実績、スキル、自己PRを記載の上ご送付ください。
2)書類選考
3)担当者との面接(私服で結構です。履歴書とポートフォリオをご持参ください。)
4)代表との面接
5)内定
- WEBサイト
- http://www.infinity-s.biz/
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