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大阪・四条畷駅からタクシーに乗っておよそ10分ほど。
今日の取材先は「木工所」と聞いていたのだけれど、タクシーはぐんぐんと住宅街を進んでいく。
なんだか心配になっていると、「ほら、ここちゃいますか」と運転手さん。
見れば、パステルグリーン色をした建物に「箭木木工所」と書かれた看板がかかっている。
そーっと扉を開けてみると、中にはメープルにパイン、ヒノキや杉など、
たくさんの木材が所狭しと立てかけられていて、木の匂いが立ちこめている。
今回、別注家具のエキスパートして
「総合職」を募集する箭木木工所は、今から約60年前に創業。
現社長でも ある箭木剛之さんの祖父の代からはじまり 、
主に、建築関係や内装関係の業者からのオーダーを受けて、
今でも変わらずオーダーメイドの木工什器を中心に手掛けている会社だ。
とはいえ、社員10名のこぢんまりとした町工場。
もしや箭木社長自らも、熱い想いをほとばしらせながら制作する
家具木工職人なのか!?と思いきや、「僕は作らないんですよね」と、飄々とした様子。
なぜなら箭木社長、この会社を継いだのには、別の理由があったからだ。
自分たちだから、できること。
「もともと、自然に興味があったので、大阪芸大で造園設計を専攻していたんです。でも、もうちょっと突き詰めて勉強したいなって思うようになって、
それで単体の植物にフォーカスを当てて、大阪府大で勉強したんですよね」
卒業後は、環境コンサルタントとして、環境に特化した研究をする会社に勤務。
魚や昆虫など、いろんな分野を極める「オタク」たちが集まるような会社で(!)
野山を駆け巡り、そこらじゅうに生えている植物を調べまくった日々だったとか。
「ここにこんな貴重種の植物が生えているから、
この場所の道路計画は変更したほうがいいとか、
行政や大手ゼネコンにそんな提案をする仕事だったんです。
でも、当時リーマンショックが起きて、実家が危ないっていう話になって…。
ちょうど人が入れ代わるタイミングだったこともあり、
『だったら自分が持っている植物の知識を、木工業でも生かせるかもしれない』って
思ったのが、跡を継いだきっかけでしたね」
しかし、箭木さんが家業を継いだ当時は、
リーマンショックの影響で日本全体が先行き不透明な時期。
赤字で借金を抱えての再スタートは全くもって甘くなく、
顧客の新規開拓が何よりの命題の中、電話でアポを取り一軒一軒回りながら、
未経験の営業を一人でこなしていく日々だったという。
今でこそ、誰もが知っているようなショップや百貨店の店内什器から、
こだわりのある個人宅のオーダーメイドの家具まで、
様々な木工アイテムを世に送り出している箭木木工所。
しかし、現在の立ち位置は、身近な建築会社や工務店と
小さな信頼関係を結ぶことで実績を積んできた、
その努力なくしては語れない。
そんな箭木木工所だけれど、改めて社員の年齢層をうかがってみると、
20~30代層と60代層、と二極化しているらしい。40~50代がいない(!)というのだ。
しかし、どうやらこれは同社に限ったことではないというから驚いてしまった。
「木工業界って、いまだに古い体質が残る業界のひとつなんです。
給料水準も全体的に低いし、短納期を守るために休みは週1だったりもします。
だから、どうしても生活のことを考えると、辞めざるを得ない状況が非常に多かった。
それが今までの業界全体の現状ですね」と、箭木社長。
ものづくりと聞けば、かっこいい、おしゃれなイメージがあるけれど、
実際は、人材不足が深刻化している業界のひとつでもある。
そして、その背景にあるのは「安い・はやい」会社に仕事が流れてしまうということで、
つまりは価格競争になってしまうということ。
人が手を掛けるからこその「価値あるものづくり」からは、
どんどん離れていってしまうのではないだろうか。
すると箭木社長がひとこと。「だからこそ、単純に受注生産だけに頼るのではなく、
自分たちだからこそ発信できることを少しずつでもやっていこうという想いから、
自社のオリジナル家具ブランド『Branwood(ブランウッド)』をスタートさせたんです」
地域の資源を活用した新しい事業を応援する「おおさか地域創造ファンド」を
利用して生まれた「Branwood」は、極力国産ヒノキ材を使い、
削りカスが出ないレーザー加工を施したエコロジーなグラフィックが特徴。
梅や桜、金魚といった和柄をあしらった全12種類のデザインは、
渋さがありながらも、どこかモダンな印象のある箭木木工所オリジナルブランドだ。
とはいえ、いまはBranwoodだけを手掛ける専属スタッフがいるわけでもなく、
パートナーの外部デザイナーとコラボレーションしながら、
試行錯誤を繰り返し、ようやく一年経ったところ。
これからは、営業を兼ねた販路開拓に力を入れていくフェーズだという。
そこで、今回募集する「総合職」の出番、というわけなのだ。
そんな総合職の先輩になるのが、社内唯一の女性社員・劉岱(りゅうたい)さん。
入社2年目にも関わらず、社長の右腕として様々な仕事をこなす彼女に、
今の仕事について、あれこれ聞いてみることにした。
なんでもやるから、喜びも苦しみも「自分ごと」。
2年前、デザインの専門学校で空間デザインの勉強をしていた際、家具やインテリアに興味があったことから、
夏休みの短期インターンで同社に出会ったという劉さん。
インターンが終わったあとも、卒業制作でロッキングチェアを制作する折に、
再び箭木木工所の知恵と協力を得たことがきっかけで、
木工家具を作る楽しさに魅了され、就職するに至ったのだという。
「インターンで少しお世話になっていたといっても、正直右も左もわからないので、
入社してしばらくは掃除や雑用をしながら、木を切り出して組み立てて
簡単な小箱を作ったり、職人さんの制作補助をしたり。
機械の動かし方についても勉強しましたね」
どんな業界も、自社で扱っている商品の基礎を知らないことには、何も始まらない。
劉さんも例外ではなく、総合職だとしても始めは工場内での作業からスタート。
それから次第に、来客対応や見積書 の作成、はたまた営業に同行していくうちに、
一連の流れを頭に叩きこんで、商品の配送や取り付けまで対応できるようになった、
まさに「なんでも屋」ともいえるポジションだ。
「本人は『できない』っていうかもしれないけど、
あえて少し背伸びすればできることをさせるようにしているんです。
その積み重ねが、自分の力になるから。大変だと思うけど、
うちに3年いれば、どこの工務店に行ったとしても
ひと通り何でもできる人間になるくらい力がつくと思いますよ」と、箭木社長。
だから、というわけではないけれど、とにかく毎日やることが違う。
朝は8時出社、17時定時が基本ではあるけれど、
現在、総合職を担うのは社長と劉さんの2名だからこそ、
忙しい時期は「終電まで粘ることも多々あります」という。
デスクワークで図面書くときもあるし、お客さんと打ち合わせをするときもある。
職人と意見を交わすことだってあるし、
配達のために自らトラックを運転するときだってある(!)。
ここで、「良かったら、工場内を見てみますか?」と、劉さん。
そのお言葉に甘えて、工場をひと通り見せてもらうことにした。
1階では、2年前の劉さんと同じように、学生インターン生たちが作業中。
2階に登れば、一気に視界が開け、高い天井と開放感のある広い空間が目の前に広がる。
そこには、レーザー加工機やパネルソー、プレス機など、たくさんの機械が並び、
木工家具職人たちが各々の場所について、黙々と仕事に向かい合っている。
その姿を見て、思わず「職人さんって怖くないですか?」と尋ねてみると、
ふっと表情をゆるめる劉さん。
「年配の方が多いので、優しいですし怖くはないですよ。
ただ、みんな気さくにしゃべる感じではないですけど(笑)。
商品の図面を持っていって『これ作ってください』ってお願いすると、
『そんなタイトなスケジュールで作れるわけないやろ』って、怒られることもよくあります。
でも、私ができるのは『何とかできる方法を一緒に考えましょう』ということ。
そうやって一つひとつ乗り越えていくことが、
私自身の成長にもつながっているんだなって、そう思っています」
多くの会話を交わすことだけが、コミュニケーションとしての正解ではない。
時には信念を持ってぶつかることで、相手の本音を知ることができる。
それが嫌だと思う人には、正直なところ居心地の悪い職場になるかもしれない。
でも、そこから逃げずに向き合っていくことで得られる互いの信頼感こそが、
箭木木工所らしいつながりのカタチなのかもしれないと思った。
「うちは、全てオーダーメイドなので、全部一点モノなんですよね。
だから毎回新しい要望があるんですけど(笑)、その分新しい出会いがある。
それが、今の私には何より楽しいんです」
そう言って、劉さんはにっこり笑うのだった。
持続させるために、仕組みをつくるということ。
それにしても、実は話を聞いている中で、ずっと疑問に残っていることがあった。もともと環境コンサルタントとして環境に関わる仕事をしていて、
「その知識を生かせるのでは?」ということで、家業を継いだ箭木社長。
しかし、家具を作るということは、
どうしたって森林伐採から逃れることができない。
そこに、モヤモヤを感じたりしないのだろうか?
「たしかに、日本は違法伐採木材の輸入大国で、
それで産業が成り立っているという背景があるのも事実です。
それに、国産木材はかなり値段も高いので、完全な合法伐採木材だけを使用しています、
とか、国内の木材だけを使用していますっていうところは、
実際のところかなり少ないというのも事実。だから、うちのような会社規模で、
自分たちだけが『環境保護が最優先だ』と声を上げたところで、
いきなり業界の仕組みが変わったり、違法伐採がなくなるというのは
現状では難しいのもわかっています。
でも、だからこそ自分たちができることは何だろう?って。
そう考えて、できることから進めていくことが
大切なんじゃないかと思っています」と箭木社長。
その第一歩として、ようやくアウトラインが
見えてきたのが、前述の「Branwood」というわけだ。
加えて、環境省が定めるエコアクション21の認定事業者として、
年に1回社員全員で山に登ったり、植林や草刈り、
間伐ボランティアなども行っているという。
そのうえで、箭木社長がこんな言葉をつぶやいた。
「ただ僕ね、絶対に家具をつくることだけを仕事にし続けなきゃいけないって、
そう思ってるわけじゃないんですよね」
思わず、なんだか業界を悲観したような言葉に聞こえてしまい、
ちょっと面食らってしまった。
しかし、そのあとに続く言葉を聞いて、箭木社長の真意を知ることになる。
「家具を作るときって、どうしても木くずとか使えないゴミとか、
産業廃棄物になってしまうものがたくさん出るんですよね。
当たり前だけど、それを見ていつも『もったいないなぁ』って思うんです。
だから、僕が思う究極の会社像は、自社で植林をして、育林、伐採、製材、
家具製造に販売、そして不要になった家具を引き取ってリサイクルする。
そういう、関連会社を作っていけると面白いな、って。
これは、いつも思い描いていることです」
たまたま、今いるポジションが、木工家具制作を軸にしているというだけのこと。
企業として社会に寄与できる存在であるためには、
直接的な森林保護というカタチだけではなく、
木工業界として「持続可能な仕組み」を作っていくことが必要だ。
それが、これから箭木木工所がめざしていこうとする
「次世代の木工所」の姿だ。
小さな町の木工所だから、何から何まで全部自分でやらなければいけないし、
誰かが教えてくれるのを待っているだけじゃ、きっと何も身に付かない。
福利厚生の整った大企業と違って、心地いい環境や心震えるやりがいは、
自分から見つけようとしなければ、多分ずっと見つからない。
ただ、なんとなくものづくりが好きで、家具職人に憧れるくらいの気持ちでは、
到底、厳しい職場だと言えるかもしれない。
だけど、「自分の手ひとつで、一からモノが出来上がる瞬間は、
何物にも代えがたい喜びがある」と、箭木社長。
同じものは世界に二つとしてなく、自分の手で生み出したものが人を喜ばせる。
同時に、自分が当たり前のように暮らしている地球の環境を、
仕事を通じて守ることにもつながっている。
そう考えれば、一生をかけて挑戦してみるべき仕事としての価値は、
十分にありそうだ。
※本求人記事は、NPO法人スマイルスタイルが大阪府より委託を受け、
「地域人づくり事業(雇用拡大プロセス)未就職卒業者等と
優良中小企業早期マッチング事業(事業期間2015年3月〜2015年12月)」の一環で
作成したものです。
Job description
募集職種
- 企業名・団体名
- 株式会社箭木木工所
- 募集期間
- 募集終了
- 募集業種
- 総合職
別注家具の見積、打合せ、営業、デザイン、製図、製造(製造補助)、配達
- 雇用形態
- 正社員(試用期間有)
- 応募資格
- 高卒以上
- 勤務地
- 大阪府大東市三箇6丁目3−7
- 勤務時間
- 8:00~16:55
- 給与
- 高校卒=170,000円
(基本=160,000円、積算・営業手当=5,000円、皆勤手当=5,000円)
専門学校・短大卒=180,000円
(基本=165,000円、積算・営業手当=10,000円、皆勤手当=5,000円)
大学卒=200,000円
(基本=180,000円、積算・営業手当=15,000円、皆勤手当=5,000円)
- 休日・休暇
- 日曜・祝祭日・毎月土曜日1回
- 待遇
- 健保、厚年、労災、雇用
賞与
通勤手当(15,000円まで⇒公共交通機関利用の場合、車通勤の場合は上限10,000円)
その他(皆勤手当(5,000円)、各種資格手当)
- 採用予定人数
- 2名
- 選考プロセス
- 1)まずは履歴書・職務経歴書等の書類作成サポートや面接対策、キャリア相談等を実施致しますので、下部のエントリーフォームよりエントリーしてください。ハローライフよりご返答させていただきます。
2)書類選考
3)面接
4)内定
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