※ハローライフでの募集は終了してますが、採用状況は各社に問合せください
貧しい家庭に生まれ、学習機会が得られず、所得の低い職業につかざるを得なくなる。
こうした貧困の連鎖の中で生きる子どもたちがいる。
一般社団法人チャンス・フォー・チルドレン(以下「CFC」)は、この連鎖を断ち切るため、東北と関西の子どもたちに、塾や習い事に使えるクーポン券を無償で提供しています。ゆくゆくは、この仕組みを全国に展開する予定です。
今回は、この団体の中核を担う職員を募集します。
* * *
Prologue すこし、個人的な思い出話を
インタビューのために彼らの働く事務所に向かう。
西成区岸里にある、牛丼屋と仏具屋にはさまれたマンションの三階。
中に入ると、真新しい机や椅子があり、プリンターがあり、書類棚はラベルがつけられ、きちんと整理されている。
キッチンがあるが使われておらず、冷蔵庫には麦茶しか入っていない。
奥にあるミーティング用のスペースで、代表理事の奥野慧さんと雑賀雄太さんに話をうかがった。
のだけれど、ここで少し個人的な思い出話にお付き合いいただきたい。
2009年秋、僕は神奈川県の、金太郎で有名な足柄山で開催されたグループコーチングのクラスに参加し、自分より若い人たちと円になって座っていた。
9年間勤めた会社を辞めて半年経った頃で、NPOやIT企業など「面白く働けそうなところ」を手当たり次第にあたりながら、地域活性化とリーダーシップについて考えるこのクラスに参加していたのだ。
その円の中にいっしょに座っていたのが、奥野慧さんだ。
当時、彼はこんなことを思っていたという。
奥野:何かやりたいけど、何やりたいのかわかんないみたいなのが
すごく大きかったんですよ。もともとがね。
ただ、普通に生きたくないというのもあった。
普通にといったらおかしいんだけど、企業に入ってサラリーマンしてっていうのは、イヤだったの。
そして、大学時代に出会ったNPOの理事長にあこがれた奥野さんは、自分も起業したいと考えるようになる。
奥野:ただ自分で興す勇気もなく、どうしたらいいんだろうというのも分からず、悶々としていた時期が非常に長かった。で、悶々とした上でも何かしなきゃいけないだろうなあと思って、目の前にあるものに、いろいろ飛びついてきた。
何かやりたいけど、何やりたいのかわかんない。
あこがれの人のように生きたいと思う。
でも、勇気がない。どうしたらいいんだろう。
わかんないけど、目の前にあるものに飛びつく。
そのような気持ちや動きは、当時の僕とまったく同じもので、円になってどんな話をしたかは思い出せないけれど、似た気持ちでいたんだなあと改めて思う。
そして、2012年8月、奥野さんはCFCの代表理事となり、僕はハローライフのライターとなって再会を果たした。
Story1 人が変わるとき。
足柄山を下りた後、奥野さんは奥多摩の山奥に入って、地域再生のビジネスを起業することを試みた。
でも、できなかった。
ビジョン、大きな方向性を描き出すことができなかったからだ。
再び人生に迷い、悶々としていたときに、東日本大震災が起きる。
所属していたNPOの理事長に呼ばれて、震災復興の活動に参加。
この経験が彼を変えることになる。
奥野:最初、僕は学生を連れて避難所をまわり、話を聴きながら必要なものを把握するリーダーになる予定だったんですよ。でも、「裏で事務局を回す人がいない、お前やれ」って言われて。
それで、リーダーがいて、僕が裏でロジスティックを固める仕事をしていたときに、すごくやりやすかった。
なんか…気持ちよかったというか。
その“気持ち良さ”は、長い間悶々としていた想いに変化を起こす。
奥野:ああ、僕にはないものを、ここにいるリーダーたちは持ってんな、と肌で感じた。
飛び込む勇気とか、人を引っ張ってすぐ興せる力とか。
それまでは「オレがオレが」だったんですよ。
オレがつくりたかった、オレが立ち上げたかったんですけど、そうじゃなくて、立ち上げてる人がいて、それをサポートする役割でもいいのかなあと思い出して。
逆にいうと、表に出てなんかやる人はいるけど、裏側で制度をつくったりする人は、あんまりいないのかなって感じて。
そこであれば自分自身も勝負できるかなって感じたのがおっきいと思う。
「ねえ、すごくない?」と誰ともなく言いたい気持ちになった。大事にしてきたあこがれや想いが変容して、それが「自分に」再び認められていく、心の動き。
諦めたのに、諦めてない。
勇気づけられる気がした。
正直に言うと、うらやましいと思った。
そうして、自分の役割をうまく見つけられたからかもしれない。
震災復興の活動が一段落ついた頃、奥野さんに声をかけてきた人物がいる。
あこがれの人。
NPO法人ブレーンヒューマニティーの理事長、能島裕介さんだ。
このとき、能島さんが奥野さんを誘ったプロジェクトが、チャンス・フォー・チルドレンだった。
奥野:能島さんに誘われたっていうのは、やっぱおっきくて。
あとは、内容を聴いたときに、子どもの教育格差を是正するというでかい方向性はあって、奥多摩の後、漠然とやりたかった教育っていう部分があって、そこにいくためにどういう制度をつくってくかとか、オペレーションをつくってくかっていうところは、まだ不十分やと。
やりがいを得つつ、僕がずっとつくれなかったでかい方向性もあるので、ここしかないなと。
こうして、奥野さんはCFCに参加した。
震災から2ヶ月経った2011年5月のことだ。
Story2 チャンス・フォー・チルドレンのはじまり
時間を巻き戻して、この団体のはじまりともう一人の主人公の話をしたい。
雑賀雄太さんは、大学進学後、ブレーンヒューマニティーに所属し、不登校になったり児童相談所に通ったりしている子どもたちや、ホームレスの方々と関わる時間をもった。
雑賀:環境をもらってホームレスの方と話をしたときに、高校を中退しているとか、中卒で仕事をしたけど続かなくて、という人は結構多くて、子ども時代の教育というところでハンディがあったんじゃないかと漠然と感じていました。
そのことと不登校の子や児童相談所に来ている子どもたちが厳しい状況にあったことがつながって、日本の子どもの教育を何とかできないのかなあって思いはじめたんです。
彼は、その想いを理事長の能島さんに相談する。
そのとき、能島さんから提案されたのが、CFCの原型になる仕組みだった。
2009年3月のことである。
その後、雑賀さんは、CFCの学生代表を一年務めて就職した。
しかし、会社勤めをしていても出会ってきた子どもたちのことや、後輩に引き継いだCFCが気になって仕方がない。
結局、CFCを法人化して独立しようと決意し、彼は退社してしまう。
そして、2011年6月20日に奥野さんともう一人の代表理事の今井さんとともに一般社団法人チャンス・フォー・チルドレンを設立。
ここから本格的な活動がはじまったのである。
Story3 「自分がしなくちゃいけない。」
「子どもたちに教育クーポンを提供して、機会を均等にする」。その仕組みを成り立たせるためには、上の図のように資金提供者、子どもたち、学校外教育機関を一人ずつ一社ずつ、地道に集めていく必要がある。
ほぼ白紙状態からはじまったCFCの立ち上げは、想像以上に大変なものになったようだ。
奥野:一個大口の支援がなくなって、一年目から自分らで金稼がなあかんみたいな話になったのね。
じゃあ、今井をとりあえず営業に出そうってなって、まったく名もないし、実体もないところの営業をしてほぼ断られて、どうしたらいいか分かんないみたいな感じになって、
雑賀と僕、仙台で二人、すぐにでも子どもたちにクーポンの提供をはじめなあかんみたいな状況で、すごいスピード感で仕事をしなくちゃいけなくて、そのへんギクシャクして、たぶん、すごい関係性は悪かったと思う。
「ギクシャクして、たぶん、すごい関係性は悪かったと思う」と話す奥野さん。
攻撃的で率直な語り口は、あいかわらずだ。
一番のピンチはいつでしたか?という質問に「いまがピンチっちゃピンチかな」と笑う。
雑賀さんにとっての立ち上げ期は、また違ったご苦労があったようだ。
雑賀:それまでは事務が嫌いで避けてたんです。
でも、突然事務しかない仕事になって、もう何も分からなくて、とりあえずやるけど、やってもうまくいかない。
何をすればいいかを調べたり訊いたりして、やることが分かってやりはじめても、よく分かんなくて進まなくってみたいな。
なんでしょうね、あの状態は。
やることに押しつぶされそう、みたいな。
で、終わったと思ったら、また次の分かんないことが来てっていうのが、ずーっと続いていたなあ。
雑賀さんは、表情も語り口も柔和だが、これは相当つらいはず。
擦り切れてしまわなかったのかな?と余計な心配をしながら伺っていたが、次の言葉を聴いて、本当に余計だったと気づかされた。
雑賀:事務をずっとやっていると、自分で得意とはまったく思えないんですけれども、やっぱりそれをやる人は、すごい必要だなあっていうのを感じながら、いままでやってきているということですかね。
そうした経験は、彼の仕事観を形成していく。
雑賀:仕事観っていったら格好いい感じなんですが、自分のしたいことをするのは、もちろんいいことだと思うんですけど、すべきこととか、必要だと思うけどそれをする人がいないときに、自分がしなくちゃっていう感覚。
「あ、これは自分より誰かがやったほうがうまくできるんだろうな」って思っても、それをやる人がいないんであれば、自分がしなくちゃいけない。そういうところは、すごい自分の中で大きいなあと思いますね。
Story4 「いまほどチャンスはない。」
現在のCFCの活動は、大きく二つに分けられる。東北、関西の子どもたちに向けたクーポン提供事業と今年の七月からはじまった塾代助成事業だ。
塾代助成事業は大阪市の事業で、CFCは、凸版印刷株式会社とともに運営を受託し、大阪市西成区の子どもたちにクーポンを提供する。
これらの活動を三人の代表理事と仙台で事務を担当する二人の非常勤職員とで回している。
立ち上げ当初から、東北、関西と、営業先の東京の三カ所を駆けずり回りながら進めてきたそうだ。
雑賀さんにとって、いまのCFCは、こんなふうに感じられているという。
雑賀:自分が思っていたより、はるかに速いスピードで動いていってることが、なんていうんですかねえ、不思議というか。
大阪市がはじめるという話があったときは、正直信じられないっていう気持ちが強かったですね。
すごく遠い未来に自治体の導入があればいいなあと漠然と思っていたのが、それから二年という期間で実際にはじまろうとしていて。
いまは、こういうふうに実際動いていて、仕事をやってる中で、それが実感を伴っていってるかなあみたいな感じがあります。
ちょっと気持ちとしては、不思議な感じがするんですけど、どうしても。
同じ状況を奥野さんは、こんなふうに見ている。
奥野:めちゃくちゃやけど成果が出てるんで、でっかい方向性に向かって進んでる感覚はあるんですよね。
うん、ちょっとずつだけど、それが感じれてるのが、しあわせというか、楽しいというか。
でっかい方向性に向かって進んでる感覚がある。
感じれてる。しあわせ。楽しい。
奥野:ここまでのチャンスは、いままでなかったという感じ。
いまを逃せないっていう感じです。いままでの中でいったら、いまほどチャンスはないっていう。
だから、ここは絶対外せないっていう感じかな。
チャンス。
インタビュー中「いまがピンチっちゃピンチかな」と言って笑っていたことを思い出す。
危機という字が表すように、ピンチとチャンスは同じ状況の裏表なのかもしれない。
Story5 ミッションに共感するということ。
その逃せないチャンス=“いま”のために職員を募集したい。
どんな人がいいのだろう?
奥野:制度設計をできる人が絶対に必要で、自ら考えて決定できる、僕が言ったことをそのとおりにやってくれるんではなくて、僕が言う前にというか、言うのと同じレベルで物事を決定できる人、
本当に中核になる人を欲しています。
かつ、来年度すぐできるかは分からないんですけど、他の自治体でこのプロジェクトをやる可能性もあるんで、そうなったときにいまの状態だと動けないんですよ、誰も。
チャンスを潰してしまう。そういう意味では、僕が外に出たくて関西をまわせる人間が欲しいんです。
これに加えて、雑賀さんは、ミッションの話をしてくださった。
雑賀:スキルに関しては、関西でやっていくとしたら、奥野が言っていたような役割になると思いますし、東北のプロジェクトでオペレーションをまわすということになると、別のスキルが要求されてくるかと思うので、その時々によって変わるかなあと。
ただ、変わらないのは、CFCにはミッションがあって、「子どもたちの教育機会の均等」っていうところ、このミッションに深く共感してくれることは、一番大事だと思います。
ミッションへの共感。どんな仕事をするにしても大事なことだ。
ただ、僕にはすっきりしないところがあって、友人が同席している安心感を頼りに、こんなことを尋ねてみた。
「その共感って、面接するときにどういうふうに知るんですか?」
長く考えた後、雑賀さんがこう応えてくださった。
雑賀:自分がどんな感じでそれを理解しているかというところでいうと、やっぱり関わってきた子どもたちのことが、僕の根本にはあるのかなと。あのとき会ったあの子は、どんな状況でどういうことをしゃべっていたかとか、
あの子が、あの子が、っていうのがやっぱり自分の中にあって。そういうのを全体的に考えたときに、いまのミッションは間違いないなって思っています。
いま共感してくださる方々も、たぶんそういう経験があって、それをもとに気持ちを持ってくださっているのかなあと思うんです。
「所得の低い子どもの学校外教育が少ない」といったデータではないのかなと。やっぱり、経験とか体感っていうのは、大事だと思いますね。
雑賀さんの根本には、子どもたちがいる。
だから、どんなに苦手だったり未経験だったりする仕事でも「すべきこと」って思えるのかもしれない。
そんなことを思いながら、聴いていた。
***
チャンス・フォー・チルドレンの「すべきこと」は、シンプルだと思う。
日本全国に教育クーポンを使える仕組みを行き渡らせること。
電気や水道と同じように、教育クーポンを社会のインフラストラクチャーにすること。
そのために、代表理事三人といっしょに駆けずりまわれる人を募集します。
彼らによると「いまがピンチっちゃピンチ」で「めちゃくちゃやけど」、それをチャンスに換えて進んでいるように僕には見えています。
奥野さんと雑賀さんがまるで違う入口からこの活動に参加したように、応募者の入口も、まずはどんなものでもいいのではないかと思います。
ただ、オフィスには使われていないキッチンがあるから、女性が来てくれると(いや、料理ができる男性でもいいですけど)雰囲気ががらっと変わっていいかもしれません。
チャンス・フォー・チルドレンは「いまを逃せない」団体です。
さあさ、お乗り遅れのないように。
(2012/09/10 サワ)
Job description
募集職種
- 企業名・団体名
- 一般社団法人チャンス・フォー・チルドレン
- 募集期間
- 採用予定人数に達し次第、終了
- 募集業種
- 事務職
・学校外教育バウチャー(クーポン)事業の制度設計業務、制度設計に係る事務作業全般(対象者の選定、予算作成、プロジェクト概要作成、各種書類作成、マニュアル作成、資金調達等)
- 雇用形態
- 専従職員(正社員)
- 勤務地
- 兵庫県西宮市または大阪府大阪市または宮城県仙台市(希望により相談)
- 勤務時間
- 13:00~22:00(1時間休憩)
※ 地域により異なります。
- 給与
- 194,000円~
- 休日・休暇
- 週休2日制、年末年始、6ヶ月経過後の年次休暇日数(10日)/年間休日数126日
- 待遇 (交通費・社会保険・手当・福利厚生・資格優遇など)
- ・社会保険等あり
・通勤手当:実費(20,000円/月まで)
- 採用予定人数
- 1名
- 選考プロセス
- サイトからエントリー
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弊社から連絡・面接日の設定
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一次面接
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最終面接
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平成25年4月からの雇用
- webサイト
- http://www.cfc.or.jp/
- 備考(求職者へのメッセージ等)
- 採用は来年度(平成25年4月)からを予定しています。CFCの未来を担う中核的な役割を期待しています。よろしくお願いします!
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