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お知らせ

ハートビートプランではたらくセカイ

2015.12.25 NEWS

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世の中には、様々なはたらき方、生き方があります。
ハローライフでは、毎月さまざまなゲストをお呼びし、
そのゲストが見ているセカイを覗かせていただくイベント「はたらくセカイ」を開催しています。
今回はハートビートプランの泉英明さん。
当日のトークイベントの中から「はたらく」のヒントをレポートにまとめました。

<profile>
泉英明 / 有限会社ハートビートプラン代表取締役、都市プランナー
NPO法人もうひとつの旅クラブ理事、北浜水辺協議会理事、一般社団法人水都大阪パートナーズ理事
1971年東京生まれ、大学より大阪へ現在に至る。
都市計画の事務所に就職、都市計画のプランニング、震災復興事業、中心市街地再生事業など、
10年の修業を経て(有)ハートビートプラン設立。
高松、下関、豊田のまちなか再生やプレイスメイキング、モノづくりのまち高井田住工共生まちづくり、
着地型観光事業「OSAKA旅めがね」、水辺公共空間のリノベーション「北浜テラス」、
水辺や船の楽しみ方を創造し世界に発信する「水都大阪」事業推進などに関わる。
著書『都市の魅力アップ』『住民主体の都市計画』『都市を変える水辺アクション』(共著:学芸出版社)


■プロローグ

ハートビートプランのスタッフのみなさんが後ろで見守る中、
19時を少しまわり、トークイベントがスタート。
まちを楽しくするプロジェクトを次々に仕掛けているまち医者的集団ハートビートプラン。
その代表である泉さんは今まで何を感じ、何を考えてこられたのでしょう。
ハローライフを運営するスマスタ代表・塩山諒がナビゲーターとなってお伺いしました。

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■ハートビートプランが生まれたきっかけ

塩山(以下、塩)泉さんがハートビートプランとして今の活動をされている
原体験や衝動はどういったものだったんですか?

泉)きっかけになったのは大学3年生の頃です。
僕が卒業後に就職して10年間勤めることになる都市計画会社のボスが
当時非常勤講師で学校に来てくれていて。
都市再開発という、都市がどう成り立っているのかという授業だったんですが、
それが唯一全部出た授業ですごくおもしろかったんですよ。
レポートを書く宿題があって、
1つ自分の好きなまちに行ってそのまちをレポートしなさいというものだったんです。
僕は金沢が好きだったのでいろんな人に話を聞いてレポートを書いたんですけど、
能動的に働きかけたらまちってこれだけ変わるんだなってことを知って、「これはすげえ」と思って。
八百屋のおじさんやうどん屋のおじさん、行政の人、コンサルタントの人、
いろんな立場の人が「自分がこういう風にまちを変えてきたんだ」って話してくれるんです。

うどん屋のおじさんが「俺のまち、すげぇだろ」ってすごい自慢してくるんですよ。
「俺らはこういうまちを作りたいと思っていて、こんなふうに開発を進めている」って、
自分のまちに対する自慢とか誇りをぶつけてくるんですけど、
そういうものって身近で聞いたことが無くて。
いろんな立場の人がまちへの想いを持っていることに感動しました。
まちは旅行して楽しんだりして「消費する」ものだと思っていたけど、
創造している人もいることがわかって。それで都市計画のコンサルタントをしたいと思ったんです。
当時非常勤講師だったボスのところに行って、「バイトさせて下さい」と言って入れてもらいました。

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■ハートビートプランができる過程で見ていたもの

塩)そのボスの会社に入ったのは、22歳の時ですよね?
元々起業や独立しようという気持ちはあったんですか?

泉)ボスの会社に入って10年間は修行させてもらって、その後独立して今11年ぐらいです。
独立する気は全然なかったですね。
いろんな出来事があって独立せなあかんというのもあったので独立したんです。
結構流れに身を任せてましたね(笑)

塩)なるほど(笑)起業する頃に考えていたことは何かありましたか?

泉)前の会社では行政から都市計画の仕事を受けていて、都市計画のプランを作っていたんです。
入社した年に阪神淡路大震災が起きて、復興計画事業も担当していました。
その時「今までやってきた土木の計画や都市計画の仕事って今後役に立たなくなるな」
という思いが、5年ぐらいで出てきたんです。
行政や民間から発注される開発もどんどん少なくなってきて
「何百ヘクタールものエリアに道路を作る」「ここに◯◯を建てる」というような
マスタープランを作る時代じゃなくなっていて、プランを書いてもどんどんお蔵入りしていく。
その時はまだ人口は増えていましたけど、もう減少するのが明らかで求められることが違うなと。
何のためにこの仕事をしているのかという疑問符を突きつけられた感じがしたんです。

阪神淡路大震災でまちに大きな被害が出ましたが、
復興出来る地域と出来ない地域の差をあからさまに感じました。
それは建物が柔らかいとか硬いとかじゃなく、
日頃の生活している人の信頼関係があるかどうかだけなんですよね。
被災後にまちを再生しようとした時にお互いが信用し合えていなければ
「復興のためにこんなことをしよう」と誰かが提案したとしても
「あいつは自分が得するために言うてるんちゃうか」とか
「あいつは嫌いだから、進めたくない」とか言って分裂していくんですよ。
でも日頃ちゃんと信頼関係を築けているところは、
キュッとまとまりすぐ生活再建ができるんです。
今後日本のまちはどこでもそうだと思いますが、
人口減少が進みまちがスカスカになって不安要素が大きくなっていく時代に、
1番大切なのは機動力です。
何か起こった時に対処できる力を地域が持っているかどうか。
そういう人達がきっちりとネットワークされているかが大事ですし、
ハードのプランだけをやっているのには限界があるなっていうのを震災でも感じたんです。



■ハートビートプランができてから見ていたもの

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最近のハートビートプランが手がけた事例を見ながら・・・

泉)最初に何かハードを作ってしまう事業よりは、
社会実験的な企画を行い世界観をみんなに共有して、
受け入れられるのかどうかというのをチェックして進めて行くことが最近は多いですね。

塩)「やって行こうぜ」と一緒に言ってくれる人と共に仮説を立て、
仕事にしていく中で、
それがちゃんと着地していくのかどうかということを検証しているということですかね。

泉)そうです。仮説からの結果を見せてかないといけないんです。
分野は違うかも知れないけど塩山さんと近いかもしれないですよね。

塩)新しいまちのしくみを作っていくとなると、
そういう手立てをしていかないとなかなかできないですよね。
社会実験的な企画を1年間実施していく中で企画書が出来上がっていくというか、
プロトタイプのようなものができることによってそれに可能性を感じてもらって、
次の展開に進んでいくという。

泉)昔から抜本的に進め方が変わってますよね。
今までのまちづくり、都市計画って1番始めにマスタープランを描くんですけど、
どうやって事業を進めていくのかという工程やどういう風にお金を使っていくのかも
全部そこに書かれていて「これを◯年間でやります」っていう進め方だったんです。
今はビジョンと仮説を立てて実際に運営してみて、事業化できそうなものを見極め、
マスタープランが一番最後という進め方で、完全に逆転していると思っています。

塩)まちづくりを考える時って、地場でまちづくりを頑張っている地域住民を「土の人」、
泉さんのような外からきっかけ(種)を運んでくる人を「風の人」、
また行政担当者や大学教授など中間支援的な人を「水の人」と言ったりします。
まちづくりを1つの植物として考えると、
まちを育んでいこうとする現場で頑張っていこうとする人だけだと難しいから、
よそ者も大事ですよということを説得していくこともありますよね?
現場に入り込んでいく時に
「風がないと新しい土に栄養素が入らないよ」というふうに口説くことはありますか?

泉)「風がないといけないよ」ということを風が言っても全く説得力はないので(笑)、
僕から必要だと言うことは一切ないです。
だけど風の必要性を理解していただける地元の人には、
風ならではの情報として「こうやったらもっと良くなるんじゃないか」
「まちのここはちょっと違うんじゃないのか」というのを相当言わせてもらって、
その人から他の地元の人に伝えてもらいます。
その地域で信頼関係を築ける人を何人作れるかということが大切ですよね。

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■泉さんがこの先に見ているセカイ

塩)今、世の中に不満を感じていることはありますか?

泉)いっぱいありますね。いっぱいあるんだけど・・・。
アイディアややる気があるのにまちでチャレンジできていない状況が結構多いんですよ。
それがそのまちで勝負しようと思えるかどうかのモチベーションになったりもするんです。
学校に行くことや就職するだけじゃなくて、どんな仕事でもいいし、
NPO的活動でも、家族との暮らしの中でもいいけど、
もう少したくさんできることがあるのにつまらない慣習や制度や自己責任のなさのためできていない。
挑戦の機会や頑張る人を応援する仕組みがあれば
豊かな暮らしにむけてもっとやれることあるんちゃうかって思いますね。

塩)5年後、10年後どうなっているんですかね?今の仕事を極めていくみたいな感じですか?

泉)都市に関わる仕事はたくさんありますけど、
その中で今やっているのはプランニングしたり実際に事業者の方と一緒に実験して進めて、
まちの姿を変えていくことやみんながチャレンジできるまちにする
全体的なコーディネートが多いんです。
どちらかというと風の人になっていて、自分自身が土の人となる事業はしていないんですよ。
事業は地元の人がやっているんです。
今後は自分が土の人の立場で何か変えるような事業をしてみたいですね。
NPO活動の北浜テラスとかは頼まれなくてもやっているんですけど、
今までの頼まれ仕事と、新しい頼まれなくてもやる仕事が繋がらないかなと思っていますね。
それがセットになれば、すごい相乗効果があると思うんですよね。


■ハートビートプランではたらくうえで必要なちから

塩)ハートビートプランのスタッフを採用する時に
「合う・合わない」というような基準はありますか?

泉)直感みたいなものもあるし、同じ人種が何人も集まっていくよりかは、
凸凹感があった方がおもしろいなと思いますね。
だから「ここは他の人と違う」っていうものを持っているといいですね。
偏って体育会系ばっかきてもおもしろくないですからね。

塩)汗臭いですからね(笑)
まちづくりの仕事って建前でも進まないし、マスタープランだけでも進まないし、
地元の人と一緒にお酒を飲んで本音をはいていくような関係にならないと、
なかなか進んでいかないこともありますよね。そういう力もやはり必要ですか?

泉)お酒が弱ければ飲まなくていいとは思うんですけど、
本音が言える関係になるには少なくとも最低1年くらいはかかります。
最初は絶対本音なんて言ってくださらないです。
自分のまちに入ってきて「お前誰だ!」って思われているんですよ。
当たり前ですよね、僕も同じ立場だったらそう思うんで。
1年間は少なくともいろんな話をして
自分がどういう人かっていうのをわかってもらわないと本音で話も出来ないですし、
本音がわからないと何が課題かもわからないし判断も狂うんです。
だから、お酒を飲まない人でもそういう場にはちゃんと行って、
烏龍茶飲みながらちゃんと話している。帰る人はほとんどいないですね。

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(後ろではスタッフのみなさんが肩を寄せ合い、写真を撮っていました!仲の良さが伝わってきます◎)


■エピローグ

最後に泉さんに伺ったのは、「泉さんにとって働くとは?」という質問。
少し静かな時間が流れ、「他人に喜んでもらうことですかね。」と泉さんは答えてくださいました。
自分も元気になって、他人にも元気を与えられる。
相乗効果を生み出しながら、最終的には他人に喜んでもらう状況を作れることが、
泉さんにとっての「働く」だそうです。

「昔はマスタープラン描いてそれぞれの専門家に依頼をしたら
お金もあり使う人もいて全部出来ていたけど、今は逆なんです。
得意分野も持ついろんな人が集まって、1つの世界観を作って、
周囲の反応と事業性を確認して、その結果をマスタープランに落とし込んでいくんです。
不確実性の高い社会ならではのプロセスだと思います。
仕事のスタイルが全然変わったなーって感じますよね。」
20年近く、少しずつカタチを変えてまちづくりを仕事にしている泉さん。
時代の変化を現場で体感しながら、その時代に合った働き方をされている姿がとても印象的でした。

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さて、「ハートビートプランではたらくセカイ」もこれにて終了です。
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