大阪西区にある民間による就労支援・ブックカフェ・イベントスペースなどの複合施設。
グッドデザイン賞受賞
「世界を見渡すことじゃなくて、自分の中にグーッと入っていった先に見つけるものがグローバルなんじゃないかな。」 藤本智士のはたらくセカイ
16.09.16

「世界を見渡すことじゃなくて、自分の中にグーッと入っていった先に見つけるものがグローバルなんじゃないかな。」 藤本智士のはたらくセカイ

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世の中には、様々なはたらき方、生き方があります。
ハローライフでは、毎月さまざまなゲストをお呼びし、
そのゲストが見ているセカイを覗かせていただくイベント「はたらくセカイ」を開催しています。
今回は、編集者で有限会社りす(Re:S)代表の藤本智士さん。
当日のトークイベントの中から「はたらく」のヒントをレポートにまとめました。
(聞き手:塩山諒)

<profile>
藤本智士(ふじもと・さとし) / 編集者。有限会社りす(Re:S)代表。

1974年兵庫県生まれ。編集長を務める秋田県発のwebマガジン『なんも大学』(www.nanmoda.jp)が6月よりスタート。著書に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著に『BabyBook』(コクヨS&T)、写真家の浅田政志との共著に『アルバムのチカラ』(赤々舎)など。2017年2月に秋田県発行で話題となったフリーマガジン『のんびり』の特集記事をまとめた書籍を刊行予定。日本各地で編集ワークショップを開催するなど、地方から発信することの大切さを伝えるべく、精力的に活動中。

■“ふつうを”考えるのが一番難しい

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塩山(以下、塩)藤本さんとは2008年頃に初めてお会いしたんですよね。
先週はたらくセカイのゲストに来てくださった山納さんと出会ったのも同じ時期でした。
その当時、色んな人から「Re:S」の話を聞いてたんですよ。
まずは「りす」という名前から伺いましょうか。

藤本(以下、藤)もともと「Re:S」は「Re:Standard」の略で、「新しい“ふつう”を提案する」っていうコピーを掲げた雑誌なんです。2006年から作り始めて、その頃は、フィルムカメラからデジタルカメラになっていったり、iPhoneが発売されたりとか、新しいものばかりに目が行くけど、良いものや使えるものを見落としまくっているなと思っていて、そんな時代のサイクルの速さに違和感を感じていたんです。逆に縄文人に戻るかのような極端なものも違うし。もっと真ん中、いわゆるふつうのところを考えないといけないと思ったんです。新しいものを敵対視するのでもなく、古いものが無闇に良いということでもなく、良し悪しを自分の頭で考えようよっていうことを提案したかった。そんな日々変化していく“ふつう”について考えようというのが雑誌「Re:S」の始まりでした。

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塩)「Re:S」を見て、2009年のアルバムエキスポを見に行ったんです。
雑誌を作っている人がこんなことをやるんだと思いました。
藤本さんにとって編集ってどういう意味ですか?

藤)編集者って言うと雑誌や漫画などを思い浮かべると思うけど、僕にとって編集っていうのは、イベントをつくることもそうだし、メーカーさんと一緒に商品をつくることも、まちの活気をつくろうと動くことも、展覧会をプロデュースすることもすべてが編集。「こういう社会になったらいいな」っていうぼくにとっての理想を実現していくのが編集という作業で、そのアウトプットが時には本で、時にはイベントというだけ。それら広義な編集をする者として、自分を編集者って言っています。

■“ふつう”がコンプレックスだった

塩)そんな編集者としての藤本さんはどのようにして生まれたんですか?

藤)生まれたのは兵庫県の西脇市という田舎、でも小学校で神戸に来て、大人になってから大阪に。
特別変な家庭では育ってなくて、まさに「中の中」っていう感じ。大学も商学部の経営学科という、今は何の役にも立ってない学部に進んで(笑)。そんなふつうな自分に対するコンプレックスがあった。大学って必ず変なやつがいてるじゃないですか?「こいつおかしいなアホちゃう?」っていう。いきなり世界一周する強者とか、そんなやつにはまったくなれなかったんですよ。「変なやつやなぁ」とか「すごいなあ」って思ってただけで。だから余計に自分はふつうだと思ってたし。でもだからこそ、壮大な夢を描くことはなかったんだけど、世の中への小さな違和感はうじうじと感じていて。

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塩)違和感っていうのは?

藤)いちいち思い出されへんような、細かいことちゃうかなぁ。なんでアンパンマンはアンパンやのに喋って、チーズは犬やのに喋れへんねんみたいなやつの世の中版みたいな(笑)。

塩)ええ!そんなことですか(笑)。

藤)ただルーツを言うと、子どもの頃から本を読むのが好きやったんですね。大学時代にバンドをやりながら、周りの後輩や仲間と本を読んで読書感想文を書くという読書クラブを結成して(笑)。最初はレポートを書くだけやったけど、次第に自ら小説を書くようになっていったんですね。そこから「小説家になりたい!」と夢見るようになって。しばらく就活もせずにいたけど、友人が全員就活するようになって焦り始めて合説に行って、そこにブースを出してた会社に内定が決まっちゃって新卒で就職しました。

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塩)新卒で就職されてたんですね。

藤)だけどそこは数ヵ月ですぐにやめちゃった。だからそこから、小説家になる夢を理解してくれる会社を求めて転職の面接を受けまくったんですよ。「小説家になりたいから家で仕事のこと考えたくないです」って言ってたから、なかなか受からなくて(笑)。でもたまたま受けた広告会社の社長が、僕のことを理解してくれて、転職をしたんです。その会社では、ちょっと変わった仕事をしていて、書店に行くのがある意味仕事やったので、当時、世の雑誌を日本一読んでるんちゃうかっていうぐらい見てた。FMステーションみたいなやつから、ティーンズロードっていうヤンキー女子の雑誌まで、書評はSMスナイパーの書評が一番ええなとか、とにかくすっごい見てた。立ち読みの鬼みたいになって。

塩)(笑)

藤)その時に 『リトルモア』という雑誌と出会って。ストリートノベル大賞っていうものに作品を出したら、佳作をもらって初めて評価をされたんですね。それで、リトルモアが配給してる映画の試写会に招待されて東京に行った時に、試写会後の二次会にも参加して。監督や好きな作家さん、有名な俳優さんと同じ席に座って話ができたことに、やっぱり東京ってすげー!って思ったんです。でも大阪に戻ってきて「大阪にもスゴイ人はいるよな。会う場がないだけやんな」と思って、自分につくれる場は何やろと考えて思いついたのが、バックマガジンというフリーペーパーだったんですよ。それが、僕の編集人生の始まり。

■自分の中にグーッと入って地球のど真ん中を突き抜けることがグローバル

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塩)最初はどんな雑誌だったんですか?

藤)仕事をしながら平日の夕方以降と土日に広告を集めて、毎号1万部刷ってました。周りからは「まずは1000部ぐらいから始めろ」って反対されましたけど、広告代理店にいたこともあって「1000部のもんに誰が広告入れんねん」って、それで1万部刷ろうと思って。その時に、たくさんのカッコいい大人たちが助けてくれたんです。当時の大阪の街って熱持って伝えるとそれを返してくれる懐の深い人がいて、原稿書いて欲しいっていろんな所に押しかけて頭下げに行って「実は原稿料払えなくて…」って言うと「いいよいいよ」って言ってくれる人たちがいて。その協力があって、謎にめちゃくちゃ充実したフリーペーパーが出来上がりました(笑)。でもその恩返しって、その大人の人たちに将来お金返すっていうことじゃなくて、若い人に同じことしてあげることやなって思ったんです。あとは、僕自信が編集者のプロになることやって思った。それが30過ぎたころかな。

塩)しばらくは会社との掛け持ちでやってらっしゃったんですね。

藤)それから試行錯誤やっている中で、自分が尊敬していた先輩編集者たちがいきなりロンドンに行ったり世界中を見て回っている姿を見ていて、ずっとお金が無くて日本を出たことがなかった僕は「このバージンを守らなければ」と思った(笑)。不自由はしないまでも、家はそんな金持ちじゃなかったから、子どもの頃に海外旅行に連れて行ってもらったこともないし、お金なかったから大学の卒業旅行もすぐそこの淡路島やったし(笑)。こんな仕事してるのに、日本出たことない。スペシャルレアでしょ?

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結局、自分の頭で考えて、世の中にこういうモノが必要なんじゃないかなとか、すっげー自分の真ん中に入っていって「これ必要やと思う」って確信して世の中に出したものって、多分世界中で同時代的に出てきてると思うんですよね。世界を見渡しながら「こういうものが必要やな」って思うのがグローバルなのではなくて、自分の真ん中にグーっと入って自分の足元から地球のど真ん中突き抜けて裏側に行ってしまうほうが、グローバルなんじゃないかって思う。

■旅を通じて出会った、よそ者の価値

藤)だから日本をむやみに出ないでおこうって決めたのね。自分の中に制約をつくるっていうか、なんとなくそういう環境とか周りの人達とかの中で、自分っていうのがだんだん形作られていって。いよいよ『Re:S』っていう雑誌を始めた時に、日本中をお金がないから車で旅するっていうスタイルになって。そういうことをするうちに、僕にとって「旅」っていうものが大事になったんです。

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塩)秋田県と一緒につくった情報誌『のんびり』は、いまはラジオやテレビ番組にまで発展しているんですよね。

藤)今やってるのは、とにかく「よそ者」の価値というか、「よそ者」が介入していくことでどういうことができるのかっていうのを、各地でやっていて、それが一番の興味。「よそ者の価値」に「編集のチカラ」が掛け合わされるとどうなるのかっていうのが今取り組んでいることです。

今みたいな時代だからこそ地方の人が声を上げていかないといけないと思うんだけど、そのノウハウを知らなかったりするんですよ。僕は地方に居ながら東京の仕事をさせてもらったりしてきたから、実際にどこの土地でもそういう仕事は出来ると思っているし、自分が培ってきた編集力とかノウハウを地方に落とすことが使命だと思っているんです。新しい風を吹かすのがよそ者の役割で、継続的にやっていくのがその土地のひと。風の役割をどこまで果たせるのかを考えています。『のんびり』は、秋田に暮らす編集者やデザイナーや写真家などと一緒につくってきました。秋田は少子高齢化ワーストワンだけど、それは裏返せばこれからのどんどんそうなっていく日本のトップランナーで、そんな秋田で見せることができる豊かさは、日本の未来の豊かさの見本になると思っています。世界をどうこうしたいとは思わないけど、日本の未来のことを考えていきたい。だから『のんびり』をやっているんです。

塩)みなさん、秋田が面白いことになっていますよ。興味のある方はぜひ。

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■エピローグ

参加者からの「秋田における取り組みの先に見ている展望は?」という質問に対して、「愛と勇気が分散するので色んな所に手を出すことはなるべくしたくないけど、今は熊本のことをやりたいと思っている」と答えられた藤本さん。藤本さんが編集していく地方の未来がどのようなものになっていくのか、とても楽しみです。

“ふつう”がコンプレックスだったと語る藤本さんだからこそ“ふつう”と向き合い続けることができ、今の時代に求められる価値を生み出し続けていらっしゃるのかもしれません。

気になった方は、以下の情報もチェックしてみてくださいね。

 

都会に学ぶ時代から、地方に学時代へ
藤本さんが編集長を務める秋田県発のwebマガジン『なんも大学』
http://nanmoda.jp/

秋田県発行のフリーマガジン『のんびり』がテレビに?!
秋田再発見旅バラエティ『のんびりし〜な』
http://cna.non-biri.net/

『のんびり』特集からブレイク。秋田県出身の木版画家
池田修三オフィシャルサイト『A Sentimental Blue Flag』
http://www.shuzoikeda.jp/

藤本さんが新たに仕掛けるマルシェイベント『いちじくいち』
https://www.facebook.com/ichijikuichi/