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株式会社 三共晒の求人サムネイル
2017.07.19 公開 2017.12.26 更新
株式会社 三共晒
染物・織物の根幹を支える晒職人の仕事。強いチームワークで伝統産業を、守り・攻めろ。

※ハローライフでの募集は終了してますが、採用状況は各社に問合せください


「晒(さらし)」と聞いて、どういったものかすぐにイメージできますか?なかなか触れることの少ない分野かもしれませんが、実は約300年ほど前から続く日本の伝統産業なんです。あなたがこの夏着る浴衣も、晒の工程を経てお店に並んでいるはず。

畑で綿花がつくられて、紡績工場で糸になり、サイジング工場で糸に糊づけされ、織布工場で布になります。晒とは、その布に含まれる不純物を落としきれいにする工程やその布のこと。上の写真はまだ晒をする前の布。植物ならではの綿花の成分や糊がついているので、薄い茶褐色をしています。いわゆる「生成りの布」。

(晒になると、こんなに真っ白になるんです。晒の技術が高ければ高いほど、染色のときにきれいに色が入るようになります。「きれいな浴衣」「美しい着物」と感じるのは、この晒の技術があってこそなんです)



大阪府堺市にある石津川に近い地域には、和晒工場が7社あります。今回はそのひとつ、株式会社三共晒で晒の作業を担う方の募集です。日本の伝統産業を支える会社では、どんなことが日々行われているのでしょうか?晒の仕事を細かく知るため、まずは工場長である辻内建人さんに工場内を案内していただきました。


和晒はどんなプロセスで生まれるのか 晒職人の仕事の工程をのぞいてみよう。




「この倉庫にある生地がお客様から預かっている加工前のものです」と案内されたのは、晒す前の生地がたくさん積み上げられた場所。



「生成りってどういう意味なんだろう?」と思ったことはあるものの、その正体を知るのはこの取材がきっかけ。綿花そのものの成分を取り除く前の布がこの「生成りの布」なんですね。この布たち、どういう工程で晒になっていくの?

工程① 釜入れ・釜炊き


加工前の生地が工場2階のカゴに運ばれ、詰められていきます。カゴはクレーンで吊り下げられ、1階の釜の中へダイブ 生地が焚かれ、釜の中では24時間以上かけて、糊抜き、精錬、中和、漂白、水洗いの工程が行われているそうです。

(1日に6カゴ分の晒をつくるそうです)



工程② 釜出し・脱水


完成した晒生地をクレーンを使って釜から出します。淡い茶褐色だった生地が真っ白になっています。水分を吸った晒生地をひとりが抜き取り、もうひとりが遠心分離機に詰めて、機械で脱水処理を行います。この工程はなかなかの重労働! 辻内さんは「晒屋の登竜門」と呼んでいるのだとか。



工程③ 乾燥・仕上げ
その後、脱水した生地を乾燥させるために晒生地の端をミシンで塗って、つないだ生地をシリンダー乾燥機に流していきます。



(熱いロールの間を通し乾燥させていきます。工場内は乾かしたり畳んだりする機械がずっと稼働している状態。音はそこまでうるさくありません)



乾燥を終えるとヤールタタミ機を使って、納品用途に合わせたサイズにたたんでいきます。



以上が大まかな和晒の工程です。その後はクライアント先に配達します。

今回の募集で入社すると、以上の工程に取り組んでいきます。日本の伝統産業を支えるひとりになれるこんな仕事は、なかなか他ではみつからないのではないでしょうか。個人でもくもくと取り組むというよりは、各工程を担当している複数のスタッフとのチームワークのもとすすんでいく仕事です。

 

この道14年の工場長が考える、晒職人に必要な姿勢や能力は?



案内してくださった辻内さんは勤務歴14年目。高校卒業後に三共晒に入社し、現在32歳です。



辻内さんニコ
「高校生の頃に野球をしていたのですが、3年生の夏に部活が終わってからは、学校の授業が終わった15時30分から17時まで三共晒でアルバイトをして、最後の工程のたたむ作業をしていました」


スポーツマンである辻内さんでも、「脱水作業は、慣れるまで身体がバキバキになった」というほど力仕事なのだそうです。

(脱水作業の様子。生地が水を含んでいるので、想像以上の重さ)





辻内さんふつう
7時半に出社し脱水機を回します。昔は乾燥機がなかったので、夜中2時とか3時とかに脱水機を動かして、朝早く干しに行って夕方に取り込むという作業を行っていたそうです。普段は12時までは脱水機を回して、15分くらいの休憩の間は止めています」


お昼休みは12時から1時間。会社で弁当の出前をとり、それを食べる人や家に帰ってご飯を食べる人、食べて一眠りする人もいて思い思いに休憩しているそうです。13時から仕事を再開し、17時に退社。早い! 辻内さんはアフターファイブをジムに通ったりしているそうです。



辻内さんふつう
「最近は働き始めた当時と比べて晒の種類が増えました。昔は定番のものが2、3種類だったのですが、今は数十種類ぐらいあり、それを見分けるのが入社してすぐは難しく、覚えていただく必要があります」




さまざまな種類のニーズが増えてきたのは、さまざまな用途に使われ始めていることを意味します。今でも手ぬぐいや寝間着に使用するというのが定番ですが、浴衣など高級品としても使われています。

これまで、扱っているものが最終的にどんな品物になるのかわからないことが多かったものの、辻内さんは自分が工場長にはなってからは商社など間に入る企業に聞くように心がけ、社員のモチベーションの維持を大事にされているようです。工場長として、どんな人にきてもらいたいと考えているのでしょうか。



辻内さんふつう
「ひとつは単純に体力に自身のある人。水を吸った和晒は見た目以上に重いです。そして大事なのは常に視野を広げ周りの状況を見て、優先順位を見つけて動けるような人です」


その真意は和晒の工程がある程度決まっているので、工場長や先輩の指示がなくても仕事量が増えているポジションのサポートに回ったり、先を読んで動くための段取り力を身につけてほしいという考えです。



和晒工場はサッカーやバスケットボールのように、仲間の動きにあわせて自分の動きも変えていく必要があるようです。チームワークが必要な仕事だけあって、取材中になんとなくみなさん仲の良さが伝わってきました。辻内さんも「人が楽しいです。フレンドリーな会社だと思います」と語ってくれました。



 

三共晒が同業種からも認められるまでの歴史には、クレームと向き合い続け、挑戦し続ける粘り強い姿勢があった。


(三共晒の事務所)



近隣に同業他社が7社あり、この7社で日本の和晒の9割が生産されています。平成23年には和晒が堺市伝統産業に認定されました。日本古来の文化でもあり、愛知県の知多半島にも5社あると言います。あわせた12社がすべてです。

歴史を紐解くと、商都大阪を控えた石津川沿いでは江戸時代から和晒をつくる農家が多かったそうです。昭和40年には、全国で109軒中、石津川沿いには30軒が操業していたと言います。三共晒の現在の社長である中野泰司さんにとって、和晒はどんな存在なのでしょうか。

(現在の社長である中野泰司さん。カメラが趣味で、プロ顔負けの腕の持ち主。仕事への厳しさと、社員を想う会社づくりへの熱が伝わってきました)



工場は平成元年の建て替えまでは木造の建物だったと言います。中野さんにとってその工場が遊び場。生地の上に乗って遊んだり、川が洪水になれば工場に流れてくる亀をもらった思い出があるそうです。



なかのさんふつう
「お前が次期社長やぞと昔から親父たちに言われていたのですが、それが嫌でした。学校の先生にも言われて、ボンボン扱いされるのがすごい嫌で嫌で。親父の力でやっていると言われるのが嫌だから、本当は自分で会社を立ち上げるつもりでした」


(事務所の前にある、晒工場)



そのため中野さんは高校卒業後には三共晒ではなく、大阪・本町のブラウス生地を販売する会社に勤めたそうです。しかし、中野さんが20歳の頃に「戻ってきてくれ」と生まれて初めて頭を下げてきた父親。「それで戻ろうと決心しました」

入社後最初に目にしたのは、自分の父親が職人の方たちにキツい言葉で「働け」という姿だったと振り返ります。



なかのさんふつう
「すごく可哀想に感じました。親父のように偉そうにはならないでおこうと決心しました。でも親父から学んだこともたくさんあります。約束は絶対に守る父親でした。その約束はクライアントも仕事もプライベートに対してもです」


そしてある日、大きな出来事が起こります。それは中野さんが入社して間もない頃のこと。三共晒の工場を任されていた社員と当時の社長である父親との間でもめごとがあり、突然その社員がいなくなったのです。



なかのさんふつう
「機械の動かし方など、その社員でなければわからないことが多い中、出て行ってしまって。まだ仕事を覚えきれていないときでした。それで見よう見まねでやっていくしか方法がなくなってしまったんです」




晒は染色して初めてその品質がわかるもの。染まらないことで、その前の工程である和晒工場の品質が悪いことがわかります。クレームの嵐が押し寄せて、取引先の方の力を借りながら、3年の月日を要し改善に至ったと言います。



なかのさんニコ
「ええ加減にやっていたわけではなく、何が原因でクレームにつながっているかわかりませんでした。改善する技術がないので薬品会社や研究機関に問い合わせするなどして、やっと理由が見えてきたんです。しかし見えながらもなかなかスピーディーには改善しない。染色工場が染めてやっとわかるんです。見た目ではわからない。普段泣いたことはありませんが、得意先に『能無しが』と言われたときは、家に帰って風呂で悔し涙をながしました」




クレームはチャンス、そこを乗り越えてお客様の信頼になると振り返る中野さん。改善したのちには技術が身につき、染色屋からのくちこみで仕事が広がっていったと言います。



なかのさんニコ
「和晒工場は、愛知県の知多半島にも5社ほどあります。そこは織物産地ですが、弊社へ取引依頼がありました。3年間を乗り越えた努力の結晶がここにありました」


 

伝統は、守っているだけでは終わる。自社オリジナル商品開発などの新しい取り組み。


クレームを乗り越えて技術がついたとはいえ、課題はさまざま。三共晒のような晒屋に届く生地をつくる機屋(はたや)が現在日本で35社しかないこと。さらに後継者不足で高齢化している産業であること。若い後継者は中野さんと同級生のひとりのみなんだとか。



なかのさんニコ
「今後は少ない量でも採算をあわせるようなビジネスモデルにしていかなければいけないと考えています」


自社ブランドの新しい商品をつくっていきたいと意気込む中野さんは、伝統を守る意識の先を見ていました。





なかのさんふつう
「同業他社が白生地を販売しているのですが、弊社はオリジナルの生地を開発して小ロットでも売っていきたいと考えています。和晒が次世代に踏み出す一歩として、整骨院で使うマッサージに特化した生地や、アロハシャツの生地を自社ブランドでつくりました。アロハシャツは綿100%では味わえない質感で、これまでできなかった縦糸が麻、横糸がシルクの融合を実現しました。これまで1m50円ぐらいが定番だった生地を、1m2000円で販売していかなくては残れない」


(自社ブランドの生地でつくられたアロハシャツ)



また、中野さんの趣味である撮影技術も活かされています。Instagramの企業アカウントを3ヶ月前にはじめたそうですが、すでにフォロワーがたくさんいます。(会社の雰囲気が伝わってきますので、ぜひご確認ください!)



なかのさんニコ
「和晒という裏方稼業も光を当てたいと考えたから狙いです。昔からかわいがってもらっている『にじゆら』という手ぬぐいブランドのナカニの社長も多く登場します。伝統は守っているだけでは終わります。守りながら攻めていきたい。攻める伝統産業でなければいけない。攻めきれなくても終わってしまいますが…」


 

自分ひとりの力では何も変わらない。スタッフとともに前にすすみつづける会社。


新しい挑戦に取り組む「攻め」の経営だけでなく、社内改革や職場環境づくりなどの「守り」にも中野さんは力を入れています。

水やガス・電気を多く使う仕事であるため、コスト削減・節約にも徹底し、利益の3分の1を社員に還元すると約束されています。みんなのがんばりがそのまま収入に反映するため、社員のモチベーションもあがっていると言います。





なかのさんニコ
社員を雇ってあげているという気持ちはなく、親身になって考えているつもりです。『利益ができたときには還元するし、ないときは痛みを分かち合いましょう』とフラットな関係を築いていきたい。自分ひとりの力では会社は変わらないと思っています」


最後に面接で必ず気にしているポイントをお聞きすると、工場長の辻内さんと近い回答が返ってきました。



なかのさんふつう
みんなと人間関係を構築できて、責任をもってやり遂げてくれる人。全体を見て、何をするかということをわかることが大事ですね。転職された方にはなぜ前の会社を辞めたのかも聞きます。中小企業を辞めた人には『会社を変えようと努力したことがあるか』を聞きます。大企業ならまだしも、うちのような中小企業であればひとつ変われば方向は変わります。その努力をしない人は別の企業に行っても同じ。私はそれを『青い鳥症候群』と呼んでいます。いないはずのものを追い求める、受動的な人。主体的に自分ならどう動くか考えられる人といっしょに働くことができれば、当社ならチャンスはいくらでもあります」




工場長や社長の話を聞いて、株式会社三共晒は家業から企業へと成長していることがわかりました。成長のプロセスで大事にしたことはチームワーク。誰もが均等に働くことの喜びを噛み締められるような、気持ちの良い職場になっています。あなたが入社することで、堺市の伝統産業をさらに成長させてみてはどうでしょうか?

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Job description
募集職種
企業名・団体名
株式会社 三共晒
募集期間
2017/08/18 〆切
募集職種
和晒の漂白・加工(伝統産業)職人
・綿布漂白作業及び乾燥作業全般
・配送作業(軽自動車での近隣への配送)
雇用形態
正社員(試用期間3ヶ月)
応募資格
未経験可
勤務地
大阪府堺市中区毛穴町195
勤務時間
7:30〜17:00
給与
178,500〜259,200円
経験・スキル・前給等を考慮し、面談の上決定します。
休日・休暇
土日祝他(年間休日数:119日)
待遇
社保完備
交通費支給(7000円/月まで)
皆勤手当あり(20,000円)
賞与あり
採用予定人数
1名
選考プロセス
1)本サイトからエントリー後履歴書を弊社までご郵送ください。
(大阪府堺市中区毛穴町195)
2 ) 書類審査後、通過者の皆様にのみご連絡
3 ) 面談日時を相談の上、決定。
4 ) 一次面談を実施
5 ) 面談の結果を全ての方にお知らせし、採用が決定
6 ) 勤務開始
WEBサイト
http://www.sankyosarashi.co.jp/
メッセージ
体力の必要な仕事ですが、スタッフのチームワークのもとすすめていく仕事です。
未経験の方には1から丁寧に教えますので、安心して飛び込んできてください。
日本の伝統産業を支え、一緒に成長していきましょう。 みなさんのご応募をお待ちしています!