日本最後の清流と言われる“四万十川”を抱く高知県。
自然豊かな「いなか」が持つ資源と「とかい」の若者をつなぐパイプ役として全国を飛び回る、
その人が一般社団法人いなかパイプ代表の佐々倉玲於さんです。
まち独自の文化を育む”川“という資源を生かした”モノ・コト・ヒトづくり“にこそ、
いなかビジネスの新たな可能性が詰まっていました。
関西方面から高知県に向かうには、近いようで実は意外と遠い。
今回取材に訪れた高知県南部・四万十市まで行くには、愛媛県・松山空港もしくは
高知県・高知龍馬空港からそれぞれ車に乗り換えて、さらに2時間ほどでしょうか。
景色はだんだん山深くなり、もやの中に山々が柔らかな稜線を描きながら
重なり合っている様子は、なんだか白いベールを重ねたカーキ色のフェルトのよう。
さきほど飛行機の中から見た、一面に緑の絨毯を引いたような山の景色を思い出して、
その山あいの道をトコトコと進んでいる姿を想像すると、少し不思議な気がしました。
この日、取材をお願いしている佐々倉さん(通称レオさん)は、
たまたま仕事の都合で午後に四万十に戻ってくるというスケジュール。
そこで、「僕が着くまでに四万十のポイントを巡ってほしい」という一通のメールを
事前にいただいていました。添付されていたのは、四万十を知るためのキーパーソンとともに、
ポイントをマッピングしたコメントつきの地図。
忙しい時間を縫って書かれただろうそのメールからは、
レオさんが人と向き合う丁寧さがじんわりと伝わってくるようで、
ちょっぴり暗号解きゲームのような気持ちを抱えつつ、四万十の出会いを楽しむことにしました。
まず一人目のキーパーソンに会うために、向かった先は大正地区という場所にある栗畑。
といっても、そこはなんと河川敷。
見る限りポツポツと数本の木が植わっているという状況です。
そこで「こんにちは、今日はよろしくお願いします」と声を掛けてくださった男性こそ、
『しまんと第一次産業株式会社』の伊藤直弥さんです。
伊藤さんは、以前栗栽培の最先端と言われる岐阜県で、栗の農業法人を運営していた
いわば栗の“先生”。この日も、栗農家さんたちを集めた剪定講習会が開かれていたのですが、
一見しても栗の産地として名高い丹波や恵那、小布施にある栗畑のイメージからは、
だいぶかけ離れている様子。
「伊藤さん、四万十って栗が有名なんですか?」とおそるおそる尋ねてみると・・・
「もとは500トン以上、収穫される栗の産地だったんです。
それがいつの間にか急激に減って、2014年には17トンにまで落ち込んでしまいました。
今、安い中国産の栗なんかが大量に出回っていますけど、もともと栗の原産国は日本です。
それなのに、日本中ほとんどの場所で、きちんとした栽培技術が実は確立されてないんです」と、伊藤さん。
手をかけなくても育てやすいとされる栗ですが、各農家の我流栽培により収穫量もバラバラ。
よって収穫量が下がりいつの間にか耕作放棄地になって、
何もしないまま荒れ地になっていくので新規就農する人もいなくなる、というまさに負のループ。
「せっかく、しまんと地栗というブランドが浸透していて、
加工現場も販売ルートもあるんです。しかも大粒で糖度も高いので人気がある。
需要はあるのに、肝心の栗そのものがない、そんな状態なんです。
だから僕はここで栗をつくる人をじっくりと育てたい。
そのために僕は、岐阜からの四万十通いを辞めて、昨年ここに移住してきたんです」
そうおっしゃる伊藤さんからは、しまんと地栗をもう一度まちのブランドにする
“栗再生プロジェクト”を背負う一人として、また、この場所によそ者として入り込み、
これからこの地に根を張っていく一人として、穏やかな口調ながらとても固い決心を感じました。
同時に、新しい一次産業の担い手になりたい若者が四万十に集い、
そこでは伊藤さんが“師匠”と慕われている、なんだかそんな未来図が見えるような気がします。
そうやって、伊藤さんが育てた栗をはじめ、
四万十の生産者たちがつくった自然の恵みを商品化して販売しているのが、
『道の駅 四万十とおわ』。
ここが、レオさんに指示された次なるキーパーソンのいる場所です。
地域資源をつかったものづくりに、ストーリーを織り込んだ商品開発を手掛ける
『株式会社四万十ドラマ』がプロデュースする道の駅は、木造りでほっと温かな印象。
四万十川を臨む食堂やカフェを併設しながら、およそ100種類ほどのオリジナル商品を開発する
この人気のスポットには、栗やお茶を使ったジュースにジャム、アイス、調味料、お米などが
ずらりと並びます。どれも美味しそうなうえに、デザイン性の高いパッケージばかりで、
思わずあれもこれも欲しくなってしまうほど(!)
そんな欲望と必死で戦いながら(笑)、第二のキーパーソンである
『株式会社四万十ドラマ』営業部の石田亮平さんを訪ねることにしました。
通販や直販部門を一手に担っているという石田さんは、自らの仕事観をこう語ります。
「僕たちの仕事は、生産者と消費者をつなぐ仕事です。
でもその工程が“全部自分で見える”っていうのはなかなかないし、
自分のやっていることが地域への還元になっているのが肌で伝わってくる。
だからこそ、僕自身が地域の伝え手になることができるというのが、
この仕事の面白いところですかね」
そうおっしゃる石田さんは、なんだか誇らしげにみえます。
ここ『四万十とおわ』では、買い物だけでなく食堂での食事や四万十川での遊び、
はたまた体験教室など、この場所だからこそ買える、味わえる、体験できるという、
五感をくすぐる仕掛けがたくさんあるといいます。それは、自然に触れ、
そこに生きる人たちの想いに触れ、その土地のストーリーをまるごと体験してほしい
という想いが込められているから。まさに『四万十ドラマ』という社名にふさわしく、
いくつもの点が線になってゆるやかにつながりながら、
ドラマを生み出す場所のように感じました。
「僕が初めて四万十に来たときに、内閣府の事業でインターンを1年間で200名受け入れる
というプロジェクトがあったんですね。でも、元々観光地なこともあってか、
地域の方もよそ者の受け入れ慣れをしてるというのかな?
もちろん、社会人一年目の頃は“田舎ならではの話の進め方”なんかがわかんなくて
怒られることもたくさんありましたけど、非常に良くしていただいたし、
お世話になった方々がたくさんいる第二の故郷です。」
ということは、「これからもずっとこのまちで暮らしていく予定ですか?」
そう尋ねると、意外にも首を横にふる石田さん。どうやら予想に反して違ったようです。
「僕は、はじめから“いずれ地元に帰る”っていうことを前提で来てるんです。
この土地にしかない課題もあるけれど、どのまちでも抱えている課題というのもあるはずです。
だから精一杯、四万十で培ったスキルを生かして、いずれは自分のまちのために頑張りたいって、
そう思っています」
なるほど、たしかに仕事や学校の関係上、今住んでいるまちや場所があるとしても、
そこに住み続けなければいけない、という決まりはどこにもない。
そう思うと、いつの間にかあるべき正解像としてできあがっている“移住・定住”の形は、
厚意や縁に対する“責任”として捉えていた自分がいました。
それを“絆”と捉えなおせば、極端な話、
どこにいても心はつながっているという気持ちになる気がします。
そこへ、「遅れてすみません」と言いながら合流してきた人物、
それが今回の主役・レオさんです。
「実はね、僕もそうやって高知に戻ってきたから、今の僕があるんですよ」と意外な一言。
この日、東京出張から戻ってきたばかりということで、さぞお疲れかと思いきや、
気持ちがいいほどの笑顔。あっけらかんとした高知人の明るさそのもの、といったかんじです。
「じゃあ、ここからは僕のオフィスで話をしましょうか」ということで、
廃校になってしまった小学校を活用したシェア型オフィスに案内してもらい、
ここでじっくりとお話を伺うことにしました。
さきほど“高知に戻ってきた”とおっしゃったレオさんですが、
それでも四万十は“地元”ではないそうで・・・
それなのに、四万十に来た理由は何だったんですか?
「大学が沖縄で、そのまま卒業しても沖縄で地域課題を解決する仕事をしていたとき、
たまたま『四万十ドラマ』の社長にお会いする機会があったんです。
そして話をしているうちに“高知に戻ってこい!”って言われたんです。
初対面で話し始めてまだ15分くらいしか経ってなかったはずですけどね(笑)
それで別れて一晩考えた結果、“じゃあ僕、四万十行きます”って(笑)」
移住を決めるまで、わずか1日!というから、そのスピードに思わず驚いてしまいました。
元々、「30歳のときには、海外か地元かどちらかを」と考えていたレオさん。
それまでは2~3年後に地元に戻ろうかなと考えていたそうですが、
ちょうど沖縄でのプロジェクトも終わり、引っ越しのタイミングでもあった。
かつ、海外の研修に行こうと調整を繰り返していたものが延期になったりと、
ことごとくレオさんの進路の針が“四万十”を指す、そんな運命にあったのかもしれません。
「そこから高知に戻ってきたんですけど、そのまま『四万十ドラマ』の社員になるつもりは
なかったんです。その代わり、会社の名前を借りながらフリーランスとして、
あれもこれもやりながら地域の中に入っていくという戦法でスタートしました(笑)
そして“これから田舎が生き残っていくために何をするか?”と考えたとき、
やっぱり人口をどう増やすかっていう問題からは逃げられない。
人口が減るのは“仕事がないから”といわれるので、
じゃあ“仕事を作る”ということと、“若い人を呼んでくる”というこの2つを
同時にやればいいんじゃないかと思って、いなかパイプを立ち上げたんです」
そこから、田舎に住んでいる人たちが主体的に田舎暮らしの面白さや楽しさを伝えていく
コンテンツをどんどん立ち上げていくレオさん。webサイトにマガジン、求人コンテンツ、
イベントに体験プログラムなど、エンターテインメント性がありながら、
「いなか」と「とかい」を自然につなぐ仕掛けは、どれを見てもワクワクするものばかり。
「でも、ゼロから立ち上げるって相当大変だったんじゃないですか?」という心配をよそに、
「四万十には、先人が築いてきた土台があるからね」とにんまり笑います。
「そもそも土台がない場所は、地域産物の商品開発をはじめたところだったりするんですけど、
四万十は20年前から『四万十ドラマ』が地域の中に入り込んで、すでにやっているんですよね。
お茶や栗、しいたけっていう地域資源もそうだし、地域の人の心持ちっていう部分も含め、
いろんな意味で全国に通用する土台があるんです」
「ただ、ここってアクセスも悪いしちょっと辺鄙なとこでしょ?
しかも山の斜面にはお茶畑があって、栗畑があって、平地には田んぼがあってという具合だから、
季節ごとにいろんな農作業があるわけです。
例えば儲けたくて農業したいなら、それこそ平地で単一のものつくったほうがいいですよね。
ということはつまり、わざわざ面倒くさいこの地域を好き好んで
“この場所で農業やる”っていうんじゃないとダメなんです(笑)」
レオさんは口調こそ優しいものの・・・“何かに本気で向き合う準備ができていない人に、
こちら側だけが本気で向き合っても、それはただの押しつけになってしまう“
なんだか、そう言っているようにも聞こえてきます。
だからこそ、レオさんは直接人に会うことを惜しみません。
このまちの良さを対面で伝えて、来てもらって、
自分の意志でこの場所を選び、仕事を選ぶ。そんな自然の流れを大切にしているレオさん。
それはかつての自分がこのまちに出会ったときと同じように、
タイミングでつながるご縁を信じ、大切にしているようにも感じられます。
1日でカツオを100万円売る魚屋の大将に、体験観光ビジネスを立ち上げたカヌーインストラクター、
地域に入り込み課題を一緒に解決していく“地デザイナー”など。
”わざわざ辺鄙な場所“を選び、”このまちで生きることを選んだ
“いなかビジネスのフロントランナーたちを見ていると、
田舎こそ多種多様なロールモデルの宝庫なのだと、改めて気付かされます。
それはまさに、レオさんが自身が“地域活性化の定義”として掲げる
「自分がやりたいことをやりながら稼げている人が、たくさんいる」という状況そのもの。
だからこそ、今の自分に何ができるだろう?と不安に思っている人でもいいし、
ゼロから何かをつくるのは苦手だけど、1を100にするのが得意なひとでもいい。
たとえば、農業を本気で目指したい人ならば、“栗の先生”こと伊藤さんのもとで、
四万十流の農業術をがっつり学ぶこともできるし、
『いなかパイプ』で働いてみたい人ならば、“レオさんの右腕”と呼ばれるその日まで、
10年後を見据えた地域との関わり方を学ぶこともできる。
そんな環境がしっかり整っています。
少しでも心が動いたなら、いま確かにうねりを続けている四万十に飛び込む前に、
まずは2月15日に開催される『地域仕掛け人市 in 大阪』に飛び込んでみてください。
そこでは、太陽のように明るい笑顔のレオさんが、しっかりと待っていてくれるはずです。
(取材・文/喜多舞衣、撮影/沖本 明、コーディネーター/古市邦人)
本コラムについて | 本コラムは、2月15日に開催された「日本全国!地域仕掛け人市 in 大阪」の団体紹介コラムとして作成させていただきました。 |
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「日本全国!地域仕掛け人市 in 大阪」について | 2015年2月15日、西日本各地の魅力あるまちで、地域ぐるみでチャレンジを応援している人々、実際に取り組んでいる先輩たちが大阪あべのハルカスに大集合。約200名の参加者が各地のゲストと交流を行いました。次回開催日は未定ですが、決まり次第下記webサイトにて開催が案内される予定です。 webサイト▶http://www.jae.or.jp/shikakenin/ Facebook▶https://www.facebook.com/shikakenin.osaka?fref=ts |
運営団体 | 「日本全国!地域仕掛け人市in大阪」実行委員会 事務局:NPO法人JAE・NPO法人ならゆうし |
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